是枝裕和監督が今まで描いてきた、人と人との繋がり、家族という集合体、そしてそれを補完すべき社会システムというものの集大成であり、近年世界中で問題視され、描かれてきた映画の中でもひとつの到達点と言ってもいい程の傑作。
『万引き家族』柴田家の人々…
彼らはあきらかに善人ではない。法を犯し、時に自分の都合の良い方に捻じ曲げた解釈をする厄介な輩だ。
なのにこの狡くて愚かな家族がなぜこんなにも愛おしく感じてしまうのだろうか?
彼らには罪の意識がない。そして貧困の理由もほとんど彼ら自身にある。
しかしあれが彼らなりの一生懸命生きている姿であるのも間違いない。
そういう能力が足りない、頭が悪い人間は社会から抹殺すべきなんだろうか?
どこまでが許されて、どこからが排除の対象なんだろうか?
その線引きを考えれば考えるほど、答えに詰まる。
法を破るといったレベルではなく、ごく僅かなものまで含めれば、罪を犯していない人間なんてこの世界のどこにもいないし、そういう意味では全ての人間は罪人である。
もちろん彼らの全てを許して社会が救うべきだとは思わない。
では、その線はどこに引くべきか?
その答えがないのが社会的解決の難しいところだし、限界だと思う。
そして一方、弱い彼らが身を寄せながら生きている姿に心動かされ、本当の家族の形を見たのも事実。
足りないものだらけの彼らがなんとか幸せに暮らすことは出来ないものか?
同時にそういう事も考えてしまう。
そういったモラルと法の遵守、そして「なんとかしてあげたい」という気持ちが、同時にうまくシステムとして構築出来ればいいのに…。
しかし、そう事は簡単ではない。
この映画、そしてここで描かれる問題に答えはない。答えがないから今も解決出来ず、むしろ拡大している問題だとも言える。
是枝監督の語り口は決して美談でもなければ、説教くさくもない。
ここでは人間の優しさ・寛容さ・愚かさ・狡さ・そして社会システムに従って生きざるを得ない人間とその限界とが全て等価で描かれている。
そこに是枝監督の「映画には世界を変えていく力」があるのだという強い意志を感じる。
問題を提示する。人の心を動かす。
その事によって現実世界に僅かでも風穴を開け、なにかしらの変化が起こるように。そんな祈りにも似た力強いものをこの映画からは感じた。
キャストは脇役まで贅沢なほど上手い役者で埋め尽くされていて、みんな素晴らしい。
中でも安藤サクラさんと松岡茉優さんはそこからさらにヒト桁違うくらい凄いので、是非ご自身の目で観ていただきたい。
観ればわかります。
間違いなく世界トップクラス。