山本

万引き家族の山本のレビュー・感想・評価

万引き家族(2018年製作の映画)
4.4
日本における「イエ」制度は、地縁や血縁よりもむしろ産業単位のユニット、すなわち社縁によって支えられてきた、という社会学の知見があります(『文明としてのイエ社会』)。たとえば江戸時代から家業は長男が継ぐものであり、次男以下はイエから追い出されたりした。逆に継ぎ手がいない場合はイエを守るために養子を迎えるということも普通にやっていたわけです。その名残が戦後高度成長期における終身雇用であり年功賃金でした。そうした手厚い保護があったから日本におけるコミュニティの役割を会社というイエが一手に引き受けていたわけですね(その副作用が現代に大きな課題を残していることは説明するまでもありません)。

いずれにせよ日本においてイエとは、必ずしも血縁によるつながりを前提としなかった。言い換えれば、血縁によるつながり「以外の」つながりができたときこそ、「イエ」という概念が持つ潜在的な射程が開放されたわけです。

それを端的に表す近年の名作が「この世界の片隅に」でした。戦中の広島を舞台にしたこのアニメ映画は、途方に暮れる戦災孤児を、主人公の女性が、なんのつながりもないにもかかわらず「家族」に迎え入れるという心温まるシーンで幕を下ろします。ほんとうの「家族」ではない。名前も知らない。生まれた背景も知らない。けれども憐れみによるつながりならある。ただそれだけで「家族」になってしまう。「家族」という言葉は即座に血縁を前提とした家父長的で保守的な閉鎖関係を想起しがちですが、むしろ日本における家族制度は先の「イエ」の話からわかるように、きわめてフレキシブルなものでした。そのことを「この世界の片隅に」はドラマチックに表現していました。

ひるがえって「万引き家族」は養子を迎えるどころか、「家族」全員が赤の他人です。松戸のパチンコ屋で拾った子供に近所で拾ってきた子供、家出少女……この映画の面白いのは、この設定が物語を追うごとに徐々に明かされるという点ですね。最初は拾われたのは「ゆり」だけだと思っていたら、実は全員家族でもなんでもなかった……。ここで注目すべきは、観客である我々が、なんの疑いもなく彼らを家族だと錯覚してしまったところでしょう。つまり我々は、別に血縁なんて気にしていないのです。たとえ家族ごっこだったとしてもそれは家族と同じである、と(「自分で選んだほうが、強いじゃん? 絆が。」)。

以上の問題提起に加え、貧困をめぐる問題を混ぜてくるところもうまい。たとえば劇中、住宅街の空にスカイツリーの頭が除くカットが何度か出てきますが、これは再開発によって活況を呈す一部の「東側」と、それと全く切り離されたまま日常が続く住宅街の対比を表現している(ように見える)し、隅田川花火大会の花火が見えないというのはまさにその象徴(のような気がする)なわけです。

あと私がいいと思ったのは樹木希林のババア感。お汁粉の餅が噛めないからしゃぶるところとか。あと「妹にはやらせんなよ」とチューパットを渡す駄菓子屋のジジイとか(この何気ない「妹」という呼び方にグッとくる)。あの指をクルクルするポーズで罪を免責されようとするのも健気でいいですよね。……ほかにもいっぱいいいところはあるんですが、すでにご覧になった人と思うところは同じだと思うので、ここらへんで筆を置きます。
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