しわくちゃの婆さんが、モノクロのアップで淡々と語っていくのだが、しだいに恐ろしくなってくる。
第二次世界大戦当時の宣伝映画や記録フィルムの挿入は、このドキュメンタリーの監督によるもので、それによりナチス・ドイツがどんなことをしてきたのかが突きつけられる。
宣伝相ゲッベルスの秘書だった彼女は、収容所の存在は知っていたが、そこでの虐殺の事実は「知らなかった」と証言する。
戦後になってそれを学んだはずだが、当時はそうだったと言う。
責任逃れでなく、そうだったと言ってしまうところに怖さがある。
監督は、終戦時の連合軍が、ドイツ国民にユダヤ人の焼死体や遺骸を見せている映像も挟んでいる。彼女にもそのように、「残虐な行いを認識してもらう」という責任を込めているのだろう。
しかし、戦勝に湧くということは、敵国の誰かが死ぬことであり、ドイツの民衆と同じことではないか。
我々も、自国の行いがわからなかった、知らなかったではすまないのでは。
悪は凡庸の中に潜むという、ハンナ・アーレントの言葉を思い出した。
また、近代オリンピックの行進パターンやイベント性を高めたりしたのはゲッベルスである。ヒトラー・ユーゲントしかり、少年たちに誓わせて戦意を高揚させた。
『民族の祭典』を見ればよくわかる。
日本のオリンピックはどこへ向かうのか。