けまろう

幸福なラザロのけまろうのネタバレレビュー・内容・結末

幸福なラザロ(2018年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

『幸福なラザロ』鑑賞。下馬評よりは良さを感じられなかった気がする。カメラがぶれたりするの苦手なんよなぁ…
恐らく多くの人の心に残ったのは、領主デ・ルーナの口にした搾取の支配構造だろう。搾取される側もまた誰かを搾取しており、そしてその連鎖の末端で犠牲になっているのが、小作人からこき使われる主人公のラザロというわけである。彼は自分の意志のようなものを持たず、ただただ言われるがままに行動し、問われるがままに回答する。対照的なのは村人で、彼らは搾取されることに不平を漏らしつつも心優しき青年を搾取する。良くも悪くも「幸福」を求める人間らしさであり、それは冒頭の婚姻の儀式で搾取される村から脱しようとする若い夫婦の姿が象徴している。

ラザロにとって一際大きい存在が、領主の息子タンクレディであった。村人がラザロを労働力としてしか捉えていなかった一方で、外部から来た彼は遊びとは言えラザロと兄弟の契りを交わす。そして、無欲のラザロはタンクレディのためにしか望みを口にしない。冗談の関係性に奉仕する無垢なラザロの姿が愛しくも愚かに映る。

「復活」の象徴でもあるラザロ。物語でも一度復活を遂げる、それも死(と思しき現象から)から何年も経て。全く姿を変えないラザロに対し、様変わりした世界。農耕世界から工業世界へ変貌しても、搾取する支配構造は変わらず、領主デ・ルーナから銀行へと搾取の主体が変わっただけであった。ラザロのように何年経っても変わらないのは、社会の支配構造とその基盤となる幸福への欲求である。

ラザロは私たちに何を残したのだろう、変わらないラザロによって変わったものは何であろう。今もなお搾取され続けているアントニアやピッポが笑顔になったことではなかろうか。彼らは学んだのだ、搾取される側においても幸福を見出せることに。
これはラザロの生き様を通じて私たちにとっての「幸福」とは何かについて思いを巡らせる作品である。

そして「狼」についても言及しなければなるまい。本作での狼とは私は搾取の象徴だと感じた。中盤の挿話、家畜を脅かす老いた(退治が容易であるが無知ゆえに恐れている)狼への説得を聖人に押しつける村人。これは、ラザロに搾取の代償を払わせる旧式の(違法の、即ち公的権力で容易く覆せる構造であるも無知ゆえに揺るがない)支配構造の寓話にほかならない。しかし、挿話の結末はどうだろう?狼は力尽きた聖人から善人の香りを認めるとその場を立ち去ったのである。そして、ラザロは二度倒れるも狼は素通りする。最後まで善人であり続けたのである。真に善人であれば搾取されない世界という願いを最後に謳っているようでもある。
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