このレビューはネタバレを含みます
レバノン・ベイルートに家族と暮らす12歳の少年、ゼイン。
彼の誕生日を両親すらも知らない。彼には出生証明書も身分証もない。
まさしく社会には存在しない子供だ。
学校にも通わせてもらえず、大家族の家計を助けるために商店で働く日々を送っている。
「ケチャップですら、製造月日があって賞味期限があるんだぞ」
劇中のセリフにハッとした。
ゼインはケチャップ以下の存在なのか。
そんな彼があることをきっかけに、両親を訴える。
両親の罪、それは『僕を産んだこと』
日本に住む私にとって、彼らの生活はあまりにも遠くの国のおとぎ話のようだ。その過酷さを想像しようとしても、実感には程遠い。
しかし、ゼインの訴えは極めて普遍的だ。
『育てられないなら産まないで』
自分のような子供をどうか増やさないで欲しい。
これが12歳の子供の口から出る言葉だなんて、なんて悲しい世界なんだろう。
子供は、親の働き手でも交渉材料でもないのだ。
この言葉を受けてもなお、
「生きるためには仕方ない。子供のためを思ってしたことだ」
と同情を集めようとする両親に腹が立った。
この映画に登場する人物は犯罪者ばかりだ。窃盗、不法就労、人身売買.......。
クスリをやり取りする手口なんて目からウロコだった。
だがしかし、本当に「悪い人」はいなかったように思う。
すべては「生きるため」に仕方のないことなのだ。
たまに起こる優しい行為は、その罪滅ぼしのようにも見えた。
「僕はみんなから尊敬されるような大人になりたかった」
刑務所の中にいるゼインが言った言葉だ。
なりたかった、なんて過去形なのが切ない。
彼にこんなことを言わせるのも、すべて貧困のせいなのだ。
全編を通して、目を背けたくなるような現実を突きつけられるが、しかし、最後には一縷の希望をこの映画は見せてくれる。
初めて見たゼインの笑顔に、泣きそうになった。
それは「存在」を得たゼインの笑顔だ。
『僕はここにいる』
そんな彼の声が聞こえた気がした。
私は映画を見ながら、日本映画『誰も知らない』を思い出していた。
どちらも無戸籍の少年が大人なしで生きていこうとする話だ。
日本にいる無戸籍児は極めて特殊な存在のはずだ。
しかしレバノンでは違う。
1人の子供を救っても、うしろには何万と同じ境遇の子供たちがいるのだ。
この映画は、ある種ドキュメンタリーのようである。
それは役者の演技の上手さや、撮り方から来るものだろう。
特に、主人公ゼインと赤ちゃんヨナスの演技はあまりにも自然で驚いた。
しかし、彼らを含めて、登場人物の多くは現地ベイルートでスカウトされた素人だという。役とリンクした境遇を持つ人たちだ。
唯一、監督自身が演じた弁護士以外は、裁判官にいたるまで本物を用意したそうだ。
そうなると、子供たちの「ありのまま」よような演技がより悲しいものに見えてくる。
あの自然すぎる演技は、彼らにとって追体験なのだ。
彼らは一体どんな人生を歩んできたのか。
少年ゼインを演じる彼も、かつて戸籍がない子供だったという。
ちなみに現在は家族とノルウェーで暮らしているらしい。
少年の幸せを願わずにはいられない。
ラバキー監督は、映画は疑問を投げかけるためのツールだと言っている。人々が話し合うきっかけになればいいと。
そしてそれが、システムを変えることに繋がれば、それが究極の理想だと言う。
私は映画の本質はエンターテインメントだと思っているが、そういう形もありなのかもしれない。
最後に、見応えは十分だが、2時間半はちょっと長かった!