前作『孤狼の血』といい、『空白』といい、アウトローとシャバの間に立たせたら右に出る者はいない、バランサー俳優こと松坂桃李。
今回はバランサーではなく、
アウトロー側として、さらなるアウトローと対峙する。
任侠映画を普段観ることがないけど、この手の映画は枠組みが面白い。
日常生活において、人は感情をいちいち表情に出さない。だから映画においても、感情を表情に込めすぎているとうるさい。言葉ですでに表しているものを、顔でも表したら、二重表現でくどいのだ。
しかし、任侠映画は言葉で顔で動きで、これでもかというほど過剰に表す。
そのような形式だからだ。
任侠映画はバイオレンスであり、形式美の世界である。
前作は、形式(任侠)と形式の外側(シャバ)を行ったり来たりする役回りとしての、松坂桃李が素晴らしかった。
しかし今作は、形式の外側を担う人物がいない。あくまで個人と個人の図式だ。
映画におけるアウトローには2種類ある。
「背景のあるアウトロー」と「背景のないアウトロー」だ。
本作は完全に前者で、ナチュラルボーンアウトロータイプではない。
組織の外にいる、松坂桃李と鈴木亮平。
社会の外にいる、村上虹郎。
外側の3人が、内側(形式の)で戦う様は、まごうことなきエンタメだった。
松坂桃李はもはや何をさせても面白い。
※この後はネタバレを含みます
印象的だったのは、死体から目を失わせたこと。
人は目を開けて死ぬことがある。
目を瞑っていても、人には表情がある。
しかし、目を失った死体はモノのようだ。
物質としてのヒトそのものが、そこにただ「存在する」ように見える。
表情の強いヤクザの面々と、物質としてのヒトのコントラストが、上林の異常性を際立たせている。
また物語の終盤、五十子の妻(かたせ梨乃)を撃ち殺した後、ビビって逃げる仲間を撃つ場面。
2発中1発命中するが、そいつはそのまま画面から消えていく。上林は気にすることなく車に乗り込む。細かいシーンだけど、殺害に執着しているわけではない、上林をスマートに示したよいシーンだと思った。
個人的にうーん、、、と思った点が2点ある。
一点目は、明らかにスパイの匂いプンプン、というか前作の天丼役の中村梅雀。
ぼくは、今回に関してはスパイと見せかけてスパイではない、という展開の方が好みだった。というのも、彼が唯一映画の形式の外側を見せられる人物だったからだ。
もう一点は何故か不得手な役回りでコンバートされている西野七瀬。
彼女の芝居はとてもフラットなので、人情味あるキャラクターが苦手なのだと思う。サイコパス的な、無感情な人間の時はいい感じなのだけど…
前作の同ポジションの真木よう子もだいぶフラットだったし、2作通して謎のミスキャストだったような…(いろんなしがらみがあるのだろうけど)
村上虹郎の深みが西野七瀬で薄まってしまってるように感じた。