岡田拓朗

斬、の岡田拓朗のレビュー・感想・評価

斬、(2018年製作の映画)
4.1
斬、

なぜ人は人を斬るのか

塚本晋也監督初の時代劇。
江戸時代に片隅で生きる者たちの中に、現代と通ずる人間の変わらない本質を描き切る気概に感服。

なぜ人は人を斬るのか、斬ることができるのか。
武士に生まれて、人を斬ることで生きていくことを余儀なくされながらも、そこに疑問を持ち、ときに嫌なことがフラッシュバックして、人を斬ることができない都築杢之進(池松壮亮)。

士農工商の時代。
一人でも多くの人を斬ることができる強い者が正義として権力を持ち、君臨する今思えばとんでもない時代であったことが作品を通して伝わってくる。
武士にとって、人を斬る以外の道は残されておらず、大半の武士は覚悟を決め、人を斬ることこそが正義であると何の疑いもなく、強くなることを求めていたんだろう。

そこに疑問を持つということは、間違いなく葛藤に押しつぶされそうになることを意味しており、時代の中で生きづらいことを受け入れて生きないといけないということ。

武士であるのに斬りたくない、斬ることが間違いであると考える男とは反対に、斬ることをやめたら社会はよくならないと斬ることを正義として生きる男澤村次郎左衛門(塚本晋也)。
この2人の出会いが大きく物語を動かす。
出会わなければ双方が対峙することもなく、お互いがお互いの人生をそれなりに幸せに全うできたであろう。
このようなことがときにはあるから出会いはときに怖い。

そんな2人に除け者にはされないように間に入り、でも何も変えられない自分に悩みもがき苦しむゆう(蒼井優)。
復讐のために斬れと言ったことを後ほど後悔し、大切な人のために何が何でも澤村を止めるんだという気概が物凄く伝わってきた。

人は本当に殺し合わないといけないのだろうか。
人と人は対話をすることで、わかりあえるのではないだろうか。
どちらかが先に何かを起こさなければ殺し合わなくて済むと、そんな人と人はわかりあえることが前提で成り立つべきであるという性善説を杢之進はこの時代の武士とはそぐわない形で持ってしまっていた。
だからあんなにも悩みもがき苦しんでいた。

そんなときに容赦なく悪しき展開が襲いかかる。
なぜそんなことをしたのか、言いたくても言えないし、言ったところで過去に戻すことはできない。
どちらかが起こさなければ何も起こらないところに波風を立てるのは結局誰かしらの人間であり、その滑稽さや理屈だけではどうにもならない現実が、現代と通ずる人間を映しているようであった。

静と動、沈黙と叫び、葛藤と覚悟、悲観と楽観、斬らない男と斬る男、苦しみと楽しみ、考えることと考えないこと…
今作で描かれているこれらの極端な対比は人間の内なるものの抑圧と解放であり、理屈を超えた人たちの描写であった。

斬らなければ斬られる、自らの死を目前にしたとき、斬りたくなかった男も本能で人を斬るようになる。
これがいわゆる防衛本能か。

なぜ人は人を斬るのか。
それは復讐でもあり、大切な人を守るためでもあり、社会をよくするためでもある。
でも今作で描きたい本質とは、人が人を斬るのは自分を守るときだけ、いわば防衛するときだけであると、そのような本能を出さざるを得ないときだけであることではないか。
そんな偶像を杢之進という男の姿に落とし込み、他の人たちと対比するように描いたのではないか。

憎しみからは何も生まれない。
復讐からは何も生まれない。
そこに生まれるのは永遠の争いの連鎖だけである。

永遠の争いの連鎖を断ち切るためには、人を斬ることを止めるしかない。
難しいとはわかっていながらも、無意味な復讐を止めるしかない。
あらゆる気持ちに寄り添いながら、監督が現代においても伝えたい本質を盛り込み、ラストに昇華していく展開は見応えがあり、非常によかった。

言葉なんてそんなに多くはいらない。
それぞれの生き様が光ってる作品だった。
映画の切(斬)れ味がすごい!

P.S.
舞台挨拶で鑑賞しに行きましたが、塚本晋也監督だけでなく、まさかの中村達也さんもいらっしゃっていて、かなり嬉しかった!
中村達也さん、音楽してるときと芝居してるときと舞台挨拶のときのギャップが物凄い!
あんな冗談言って笑わせてくれる方なんだとかなり親近感湧きました。
そして池松壮亮と蒼井優の演技が、それはもうさすがで圧巻過ぎました。
舞台挨拶で紹介された「冒険監督」も買っちゃいました。ちゃっかりサインもいただき!
岡田拓朗

岡田拓朗