シャトニーニ

劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデンのシャトニーニのレビュー・感想・評価

4.6
ただのありふれた機械式自動手記人形〈ドール〉の、どこかできいたような物語。

だというのに、4度以上は涙腺が緩む箇所がある(実際に感極まって泣いてしまった)。本作がここまで胸を打ってしまうのは、繊細な怒り、噎び、啜り泣く声まで表現できる声優たちと、演出と作画をてがけた京都アニメーションの魔法のような技術力の結晶だと一重に思う。ピノキオがクジラに飲み込まれて、絶望に明かりを見い出したときのような、希望の光がこの作品にはある。

というのも一昨年、悲しい事件がスタジオにあってその件は前作で触れなかったが、本当に、尊い人たちを失ったと実感した。エンドロール後もしばらく席を立てず、客席に無言の慟哭が広がるようだった。放火による火災で京アニのスタッフや社員の命が失われたことは、無念の他ない。国宝級のアニメーションを描ける人たちの日常と未来を永遠に奪った事件と犯人への憤り、犠牲者と今日まで続く遺族への悲しみを忘れはしない。

事件のことを本作への評価に加えたくはなかったが、それ以上の素晴らしさが、パワーが、何人かにとっては遺作となってしまったこの劇場版ヴァイオレット・エバーガーデンにはある。
作中では手紙が電文や電話に、ガス灯が電気に代わる描写がある。現実歴史おなじにハイテクがローテクを駆逐する時代の変遷があれど、人の手に依る技術は、いつまでたっても必要とされるのだ。それがたとえ機械で出来た義手であったとしても

過去と現実を背負う者はどう生きればいいのか。少佐がヴァイオレットを突き放したように、少年が友人との面会を謝絶したように。
作品のテーマは"赦し”なのだろうか?戦争に関わった者や、病に伏した者が、それを得るため選択するも、自由と時間が制約されるのは悲しいギミックだと思う。生きている、それだけを罪と思っては生きづらい。

外伝は依頼人姉妹のエピソードであったが、本作はヴァイオレット自身に纏わる物語であり、彼女の少佐からの「あいしてる」、が何なのか、そのオリジンにスポットライトを当てながらの探求となっている。TV版では想像もできなかった、真の終幕を見ることができた。

TV版の10話が好きな方は是非みてほしい。自分もそこが好きで、本作と合わせれば大きな時間軸の中の一コマに過ぎないものの、ストーリーを構成するのに非常に重大な部分であったのが嬉しい。


最後に、美しい夢を見させてくれた製作者たちに、今はもういない方たちに、ヴァイオレットが書いた最大級の海への賛辞のように、心からお礼を。
自動手記人形サービスがあるなら、ただ伝えてほしい。


“ありがとう。”



"あいしてる。”

の二言を。