Lato

劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデンのLatoのネタバレレビュー・内容・結末

3.5

このレビューはネタバレを含みます

文字は言葉へ、言葉は愛へ。

予めて書いておくと、私はヴァイオレット・エヴァーガーデンという作品にあまり傾心していない。

と言うのも、テレビシリーズが個人的にハマれなかったからだ。1話ごとのストーリーは純粋に泣けるのに、連続シリーズとなると話のパターンが似通っている気がして、観続けるのが億劫に感じてしまった。

親子とか恋人とか兄妹といった題材の問題ではなく、「素直に言葉で伝えられない人たちが、手紙で初めて想いを伝えられるようになる」という話の軸に、申し訳ないが次第に飽きを感じていたのだと思う。
(加えて、ヴァイオレットの成長物語は常に観る側の想定通りで収まってしまったことがもどかしかった)

本作を観に行こうと友人に誘われた時は「2時間は長いな...」と思っていたものの、実際観て驚いた。
ヴァイオレットが様々な顧客と出会い成長していったように、アニメシリーズの続編に当たる本作も成長していたのだ。

想い伝える手段が『手紙』という形で完結しつつあったアニメシリーズに対し、本作では時代の移り変わりとともに『直接の言葉』に手段が変わっていたのが印象的だった。

病床に伏せる少年のシーンもそうだが、生死不明の少佐に向けて手紙を書き続けていたヴァイオレットが、少佐と再会し、再び『愛してる』を受け取る。
そして、未来の語り手がこれらの物語を俯瞰することで、より時代の移り変わりを感じたというか、手紙という手段がゆっくりと過去のものになっていくのを描いていたと思う。
素晴らしい続編をありがとう、京アニ。

個人的に、私は少佐の言う「愛してる」が必ずしも恋愛感情で言ったものだとは思ってなくて、もしかしたら『父が娘に向けた親愛』なのかもしれない、と思っていたりする
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