Maki

この世界の(さらにいくつもの)片隅にのMakiのネタバレレビュー・内容・結末

4.0

このレビューはネタバレを含みます

公開:2019年
鑑賞:Amazon Prime

■前作レビュー
https://filmarks.com/movies/62746/reviews/34153458


『この世界の片隅に』への私の立ち位置。

2016年。原作もスペシャルドラマも知らず。公開直後にたまたま読んだ記事で興味を抱いて仕事帰りに劇場へ。そこで衝撃を受けてすぐ原作を買い込み。原作からより大きな衝撃を受けてまた劇場へ。

続けて、こうの史代氏の著作を買い集めては『夕凪の街 桜の国』とのつながりに想い馳せ。ほのぼのギャグ漫画に泣き笑い(ユーモアセンスも素敵)。またまた『この世界の片隅に』の原作と映画を行ったり来たりドスンドスン心を撃ち抜かれていました。私のスタンスは「原作最強」です。

前作は素晴らしすぎる映画でしたが、重要人物(登場は少なくても裏主人公ともいえる存在)白木リンのほぼ不在という穴があきました。片渕監督が語った理由・意図に納得しながらも、映像化を待ち望み。ところが、いざ長尺版として制作公開されるとなぜか躊躇って劇場鑑賞を逸し、先ほどようやく配信で鑑賞。



『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』。
もう語るに尽きない、綴るにとめどない作品なので、追加されたリンさん関連に絞って。

私の経験も踏まえて想い入れの強いリンさんやテルちゃんが物語に仲間入りしたのが嬉しい。同時に、彼女らの行く末がはっきり描かれてしまうことの辛さも。

そして前作では無垢さが強調されたすずさんは、今作では心情の揺れ幅、言動も原作に近づいた。リンさんへの親愛と嫉妬の混ぜこぜが浮き彫りとなり、代用品と卑下して悶悶としたり、本妻としての矜持から意固地になったり、人間味がありありと出ています。

●19年8月
すずさんは迷い込んだ遊郭で、幼いころ出逢った屋根裏の座敷童子と“再会”します。リンさんはうすらと気づいたのではないだろうか。

●19年9月
すずさんが絵を届ける。辛い生い立ちから達観しているリンさんが悪戯っぽく嫌味っぽくツッコミ返すのは、やや嫉妬もあるはず。けれども親しみと有り難みを強くもっている。生まれてからずっと“居場所”を求め続けてきた彼女が、いっときは周作と暮らすことを夢見たのか、彼の一方的願望に付き合っただけなのかは語られません。云い寄ってくる客のひとりにすぎなかったかもしれない。でも身に着けた小袋に「周作に書いてもらった名前」を入れていた。「すずさんに描いてもらった絵」を一緒に重ねて微笑んだ。すずさんを見送ったあと小袋を大切そうに握りしめる仕草にぐっときます。周作とすず夫婦のやさしさの象徴です。

●19年12月
すずさんが恋心を断ち切ったつもりの水原哲が乗り込んでくるあの一夜も、リンさんとの関係が描かれたあとだけに、より三者の葛藤の生々しさが増します。水原哲も長年恋しかったひとを諦めて、呉を守るために重巡「青葉」に戻る男です。

●20年2月
「りんどう柄の茶碗」。周作がリンさんに渡せなかった茶碗の姿をした婚約指輪。それをわざわざリンさんに渡しに行くすずさん、彼女の邪な一面が垣間見えます。「リンさんが受け取るべきだったものだから渡したい」が一番でしょうが「リンさんに関わるものを私の居場所(周作の家)に置いておきたくない」とか「茶碗(指輪)は渡すけれど本妻は私です」などの意思の混在。りんどうの花言葉は「あなたの悲しみに寄り添う(愛する)」。周作がそこまでこだわってあの柄を選んだかは不明ですが。

すずさんとテルちゃんのたった一回の遭遇。心を通わせる会話も、遊女の脱走を防ぐための格子窓を挟んでのもの。テルちゃんが行けばよかったという「暖(ぬく)い外地」は南方戦線で慰安婦として働くことを指します。同じ呉で同じ戦時下で同年代で笑いながらまるで居場所の異なるふたり。短くも切なく愛しいエピソード。

●20年4月
花見、桜の木の上。リンさんが「テルちゃんの形見の口紅」だと、すずさんの唇に指でつけながら「空襲に遭うたらキレイな死体から早う片付けて貰えるそうな」とこぼす。伝えながらも己の死生観を問い正しているような言葉です。紅をつけられながら見つめ返すすずさん。リンさんが木を降りたあと、紅に桜の花びらが一枚、舞い落ちる。エロティシズム。あれ、ほんとうはリンさん自身の口紅だったんじゃないか、茶碗のお返しではないか、そんな妄想。そう考えると、のちにグラマン機銃掃射で砕け散った意味も異なってきます。口紅は周作とすずさんの身代わりとなったように。

●20年10月 戦後
朝日遊郭「二葉館」の焼け跡。おそらくリンさんのものであろう毛髪に触れて茶碗の欠片を見つめる、すずさん。リンさんの生死は明言されません。けれども「消えた」と確信して、はじめて邪な気持ちもなく頭を寄せあうふたりを、りんどうの花が両脇から包み込むイメジ。単純な友情に括れないふたりの寄り添いに涙が溢れます。リンさんの心は、どの居場所へ行ったのかな。テルちゃんの心は、暖い場所へ行けたのかな。



ただし…
ここまで書いたのはどれもこれも原作で紡がれたもの。

私にとって原作最強なので、映画の原作準拠再現度が高まるほどに片淵監督アレンジの台詞や場面や構図の改編(削除や追加)に 「ん?」「え?」となることも。前作ではさほど違和感を覚えなかったのに、今作はノイズに感じられて。アレンジがどこまで功を奏したのか一見だけでは答えが出ません。

例えば
原作にない「周作の叔父と叔母が、周作とリンさんの過去を語る」はいかにも説明的で浮いている。「花見でリンさんと周作がすれ違いざま言葉をかわす」も原作では、桜の陰で見えない演出がよかったのに。どちらも云わぬが花、云わずもがなで蛇足だった。

あと細かすぎるけれど、戦後にすずさんと一緒に出掛ける周作、アニメだと傘を危険な横持ち(傘の先端が後ろにくる)してるのも嫌い。
いやそもそも大事なタイトルの間に(さらにいくつもの)って文字を挿し込むのどうなのとか…片淵監督の提案を、こうの氏が快諾したらしいが、まだいろいろ好意的に捉えきれないところもある。

なんてモヤモヤしつつ、この長時間ダレることなく追加部分も馴染ませてくれた監督やスタッフの手腕の凄さには重ねて敬服しております。


Maki

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