mid90s ミッドナインティーズ
君と出会って、僕は僕になった。
少年スティーヴィーのヒリヒリとした憧れに対しての背伸びが軸になっている青春映画。
ただしこれは、若気の至りみたいな言葉で片付けられるものではなく、彼にとってはなくてはならない壮大な物語でもある。
90年代のロサンゼルス。
現代よりも差別が至るところで蔓延っていて、お世辞にも平和であるとは言い難い危うさのある雰囲気を残していた。
そんな様子が荒削りな質感のあるフィルムで映し出される。
そこでスティーヴィーは兄に時折理不尽な暴力を振るわれながら、真に縋る手段もないままに、憧れを胸に日々を過ごしていた。
そんなときに出会ったのが、自らの生活とは違い、統制されることなく自由に生きている自分とは別世界にいるような人たち。
そこにスティーヴィーは仲間入りしたいと思うようになり、物語が大きく動き出す。
人の数だけ居場所はあって、人の数だけ生活があって、人の数だけ憧れがある。
それらが自分を形作るかけがえのないものになり、そこには誰もが入る余地を与えられない。
それがその人にとっての世界(全て)になってしまうから。
誰もが大多数と同じように統制されながら生活していくことを望んでいたり、スポーツ選手やスター俳優、ミュージシャンに憧れるわけではなく、スティーヴィーみたいに、自由なアウトサイダーを生きる人たちへ憧れを抱くこともある。
でもそれって本当に悪いことなんだろうか。
そもそもアウトサイダーが存在する裏側には、そうじゃない価値観や考え方を正しさとするマジョリティーの世界があって、そこで生きるのが窮屈であることも、そこが生きづらくなることもあるはずだ。
どうしてもアウトサイダーとして生きなければいけない場合もあって、そういう人たちを闇雲に悪者として扱うことはできないし、その人たちにとって必要な世界もある。
そこにもそこでしかわかち合えない「自分だけのスター」がいる。
誰もが何かに憧れることは避けて通れないが、そこが危うい世界だと知っていたとしたら、なかなか踏み出すことができる人はいないだろう(不良系の作品などに触れてかっこいいと思っても実際不良にはならないように)し、スティーヴィーはそこに踏み出しただけでも大きな挑戦であり、彼にとっては大きな青春の始まりでもある。
そんなことは考えてなかったかもしれないが、そうならざるを得ないんじゃなくて、自ら選択して踏み出したのは間違いない。
だからこそヒリヒリするような刺激的だと感じられる日々がそこには待っていて、その一瞬一瞬が彼にとっては宝物のような忘れられない時間として刻み込まれていったのだ。
誰かにとっての日常は、誰かにとっての特別になることがある。
しかし、そこは綺麗なだけの世界ではない。
むしろそんなグレイさがクールであるとスティーヴィーはのめり込んでいったが、現実は死と隣り合わせであることも、犯罪に手を染めてしまう可能性があることもある。
もちろん犯罪を犯すことはよくない。
そこは最低限のルールとしてやっぱり守らないといけないラインだ。
そしてこういう生活には、より大きな危険が伴うし、身に何かが起こる確率が上がる。
死んでしまったら元も子もない。
そういうことも鑑みると、親が子を心配して止めることを、否定することも絶対にできない。
そこで起こる家族との衝突や少年としての葛藤、そして仲間内でも考えがズレたり、ボタンのかけ違いで起こる衝突があり、それらが人間ならではの痛々しさを抉り出していくことに繋がっていく。
そして末路としてのあれは、本当に辛かったし目を背けたくもなった。
それでもあそこであの決断をしたスティーヴィーの母には懐の深さを感じたし、本当の意味でスティーヴィーの求めていたことを考えた上での、母親としての大きな決断だったんじゃないかと思う。
少年のかけがえのない永遠にも思える一瞬を切り取り、潜んでいる心情と共に見事に映し出し切った作品と言える。ラストの演出も粋だった。
普通に生きていると味わえてなかったであろう色んなことが詰まっていて、それらは今後を生きていく糧になるだろう。
幼少期にこんな経験ができるなんて、良くも悪くも本当に凄い!
憧れに一直線になるということは、眩しくもあり痛々しくもあり、何とも人間味があった。
P.S.
ジョナヒルさんの初監督作ということでしたが、長さ的にも語らずに映し出すもので感じさせる演出もとてもよかったと思います。