珍しい群像劇だ。
構造としては、
「人物の不在による周囲のどよめきを描く」という意味で『桐島、部活やめるってよ』にも似ている。
ただ、珍しさはそこではない。
人間関係がほとんど描かれていないのだ。
乙坂鏡史郎がなぜこれほどまでに未咲を想い続けるのか。
未咲と鮎美の母子関係はどのようなものであったのか。
未咲の人生を狂わした阿藤という男。
鮎美と颯香、従姉妹同士の関係性。
未咲と周囲の関係性も、
周囲それぞれの関係性も描写されていない。
彼らの間にどのようなストーリーがあり、どんな関係性が生まれたのか。
「ただ、そのようなものであった」
以上の説明がない。
考えようによっては陳腐な映画だ。
観客は映画の世界と全くコンテクストを共有できないのだから。
しかし、不思議と没入感がある。
確かに映画の中にぼくは居ると感じたし、愛着が湧く。
ストーリーという分かりやすいコンテクストではない、繋がりを感じる。
観客とこの映画を繋ぐものは何か?
それは「場」だ。
廃校舎、実家、とある老人の家、未咲がけっして幸福ではなかったであろう日々を過ごしたアパート、地方の新築一軒家。
生活の場が、
生活の場であった場所が、
具体的なエピソードを超えた説得力を持たせる。
つくづく映画は脚本ではなく、映像と音なのだと感じる。
キャストもすばらしい。
脚本からは読み解けないもやっとした感情を、安易に含みを持たせることなく演じている。
高みに昇りつめた印象の松たか子、
本当に分かりにくい役を分かりにくいままに演じている広瀬すず、
脚本に依らずに、ちゃんと伝わる映像になっているのは、監督の表現力とキャストの演技の賜だと思う。
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https://youtu.be/ZDduyB1rrsM