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ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語のlotusのレビュー・感想・評価

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ルイザ・メイ・オルコットの「若草物語」が原作だけれど、そのまま映画化したわけではない。

四姉妹の次女、ジョーがメインキャラクターだが、ジョーが書きあげた物語が「若草物語」というつくりになっているので、「物語」の外側も描かれている。

ジョーにとっての「物語」の外側がなんなのかというと、「結婚だけが女の幸せではない。それだけが女にとってのハッピーエンドではない。」である。

けれども、ジョーは作家としての才能があって、自己実現に邁進していてすっかり満足かというと、満たされなさも感じていて、「結婚が全てではないと分かっていても、それでもさびしい、孤独だ」と心情を吐露する。この辺りは、経済的理由から無理やり結婚する必要がなくなってきた現代女性にも通ずる心情といえる。

ジョーだけでなく、四姉妹それぞれの成長を描くことで、女性にとってのハッピーエンドがなんなのか、世間に押し付けられた形ではなく、いろんな形があることが示されている。メグは夫と家庭を築くことを望み、ベスはピアノを弾いている時が幸せ。ジョーは自らのペンに力を見出し物語を紡ぎ続ける一方、エイミーは自らの画才を見限り、それでも少しでも自由を求めて良い条件の結婚を望みながら、その条件だけでは結婚を決めきれない。けれども最後には自らが欲しかったものを手に入れる。
四姉妹の姿を通してほしいものがそれぞれ違って当たり前だということを肯定してくれるところに未だに感動してしまうのは、未だに女性の幸せが結婚であるという枠組みがあまりに強固だからだ。
ジョーたちの時代には、女性が稼げる手立てがあまりに少なく、経済としての結婚に頼らざるを得なかったが、その頃よりは手立てが増えているのに、未だに結婚の枷は頑としてある。世間は女性をなかなか「自由な中年女」にならせようとしない。

この映画の構成は、その枠組みから抜け出すことを試みている。
この映画を見た人は、強固な枠組みから抜け出す可能性を見ることができると思う。
ジョーみたいに、ハッピーエンドは自分で交渉し、切り開いてもぎ取ればいいのだ。自分の書き上げた物語が美しい装丁の本になるのを見るジョーの表情を見ればそれは明らかなのだから。
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