1977年制作、スティーブン・スピルバーグ監督によるSFファンタジー映画の傑作でもう既に本編はSFの古典に分類されるようになりつつある。
当時、スティーブン・スピルバーグ監督の「激突」、「ジョーズ」が公開され、新進気鋭でなかなか面白い映画を創る監督だと認識されはじめた頃でまだ「インディ・ジョーンズ」も登場していない。
さて次は何を撮るのか楽しみにしていたら何とUFOであった。
1970年代当時、日本では「11PM」からの流れを汲む矢追純一氏の特番UFOシリーズで盛り上がり、ユリゲラーの超能力などと共にオカルトブームが席巻していた。川口探検隊の木曜スペシャルものもあったりして、結構騙されて観たものである。
おおかたは長いCMも含め2時間付き合わされた挙句、何も起こらずに次回乞うご期待で終わるのが多かった。
オレの2時間を返してくれと言いながら結構次回も観たりしていた。
この時代、UFOの存在についてその信憑性はまだまだ低く一部のマニアックな人々の間である種新興宗教的に取り上げられてはいたが、それ以外はバラエティとして受け入れられていたレベルであったように思う。
ましてやそれに地球外知的生命体が乗船してるとなると口に出すのもはばかられる雰囲気があった。
宇宙人が乗っているかは兎も角、このUFOなるものが1980年のイギリスにおけるレンデルシャムの森事件や1986年の日本航空ジャンボ機のアラスカ上空遭遇事件、1989年からのベルギーUFO wave、1997年のフェニックス・ライト事件、 2004年米空母ニミッツ、2015年米空母ルーズベルトのいずれも艦載機が遭遇した事件など極めて信憑性の高い遭遇事件を経て今日ではその存在がほぼ確実視されてきている。
にしてもUFOの造形をいろんな映画や特番で観ているとひとつ面白い事が分かる。
昔ほどレトロっぽいのだ。
アダムスキー型円盤なんか取り分けアンチーク的な造形のように感じられる。
現代になるほど流線を帯びたり、三角形が出てきたり、何かデジタルっぽくなったりしているような気がする。
つまり時代の趨勢にリンクした様相の変化が感じ取れるのである。
ミレニアム・ファルコンだってもしあれが空を飛んでれば完全なUFO目撃になるだろう。
この物語はまだUFOが特番レベルで扱われてた頃に登場した壮大かつファンタジックなSF映画と言えるだろう。
冒頭、メキシコのソノラ砂漠に現れた5機の米アベンジャー雷撃機のシークエンスは実際に起こった1945年の事件に基づいている。
フロリダのローダーデイル基地所属のフライト19失踪事件であるが、バーミュダー・トライアングルの失踪事件の中でも最も有名な事件で、今でも機体の海洋探索が実施されている。
これをもってきて好奇心を駆り立てていきなり物語に没入させてくれる。
次の民間機の航空管制のシークエンスも好きな導入部でレーダー画面を見せながらのパイロットと管制官とのやりとりで何かが起こってることを感じさせている。ここでのパイロットのセリフが面白い。
パイロット「光り輝いて眩しい。
形がよく見えない」
管制官「ではUFO目撃を報告
するか?」
パイロット「‥‥いや、それは見
合わせよう」
管制官「ではUFO以外の目
撃を報告するか?」
パイロット「UFO以外っていった
い何にすればいいん
だ?」
管制官「それは私に聞かれて
も分からんな」
最近まで公にUFO目撃を語るパイロットは軍にしろ民間にしろほとんどいなかったようだ。
これまでそうした発言は精神的におかしくなったと判断され、地上勤務を余儀なくされたりしたからである。事実アラスカ上空での日航機遭遇事件では機長がこの憂き目にあっている。
そして物語のトーンの中にディズニーのファンタジーの匂いが通底していてシリアスな遭遇とは一線を画している。
物語の前半はいわゆる兆候が随所に散りばめられていて実にワクワクさせられる。
街全体がUFOの接近と共に停電となり、主人公のロイ・ニアリー(リチャード・ドレイファス)は電気工事会社からの指示で作業車で出かける途中、無線から聞こえて来る謎の飛行体の遭遇情報に導かれるように追跡を始める。
途中、車を止めて地図を見ているとヘッドライトが後ろから近づいて来る。
手で先に行けと合図するとライトが横に動き出し、一台の車が横を通り抜けざま「馬鹿野郎!邪魔だぞ!」と罵声を浴びせて通り過ぎる。
次のシークエンスで踏切の前に停車し再び地図を見ていると同じアングルからの視点で後ろからライトが近づいてくる。
ニアリーはまたかと手で先に行けと合図するがそのライトは横ではなく、静かに上に上がっていくのである。
客席からはクスっと笑いが漏れる。そして車上から強烈なビーム状の光を浴びせられる。
すると車内のものが無重力状態のように舞い上がる。
「2001年宇宙の旅」の特撮を担当したダグラス・トランブルがスタッフにいるだけあり、その特撮技術をフルに活かしている。
車にカメラと照明を固定して回転させているのだ。
このシークエンスは前の車のシーンが布石としてよく効いている。
一方で並進的に描かれるのがインディアナ州マンシーに住む母子家庭のジリアン・ガイラー(メリンダ・ディロン)と息子バリーの遭遇である。
夜中に物音で起きたバリーがキッチンで得体の知れない者と鉢合わせするシークエンスは姿を見せないがあたかもいたずら好きな7人の小人のような雰囲気を醸し出す。
冷蔵庫の中をさん散らかしにしている謎の者は画面に映さず、それを見ているバリーの表情でその存在の本質を顕す何とも心憎い演出である。
好奇と同期に満ちたその表情は誰も真似のできない名演技である。
実際の撮影ではこの幼児バリーの前でピエロの格好をしたスタッフがおどけていたらしい。
バリーが彼らの後を追って森の中に消えていくのを母ジリアンが気付き追いかける。
そしてとある峠にバリーがたどり着きニアリーの車が道路の真ん中に立つバリーと遭遇、追いついたジリアンがバリーに飛び付き危機一髪で車を回避した。
道端にはトラックに乗ってやって来た農夫のような親父と少女達が何かを待っている様に佇んでいた。
風が吹き始め何かが始まる予感を醸し出す。
道の真ん中にジリアンとバリーがいると何やら峠の向こう側から道沿いに近づいて来るものがある。
いきなり現れたものは色とりどりに光り輝やくUFOの一群であった。
ジリアンとバリーがしゃがんでいるとその真上を回転しながら通過していく。
「アイスクリームだ!」バリーが思わず叫ぶ。
そのUFOの一つは道端にあるマクドナルドの看板で立ち止まりライトをかざして眺めているかと思うとあっという間に飛び去って行く。
最後に赤く輝く小さな球体が自由奔放に飛び交いながらしんがりを務めていた。
このシークエンスは何度観ても飽きない。
決して悪意のない、ただ悪戯好きの何かという描き方がディズニーであるし、スピルバーグらしさでもある。実際、終盤にはピノキオの「星に願いを」のフレーズがはめ込まれたりしている。
中盤からニアリーやジリアンは何かに取り憑かれた様にある形に導かれていくがそれはワイオミング州にあるデビルスタワーであった。
この中盤からの中だるみ感は否めない。
何やらUFOと遭遇した者がテレパシーに導かれて収斂するという下りはウソ臭いし、回りくどいというかやはり面倒くさい。
終盤の母船登場はやはり圧倒的で壮大なスペクタクルで表現される。
さまざまなUFOの乱舞の後、デビルズタワーの向こう側から浮かび上がる巨大な母船は今まで何処に隠れていたのかと思えるぐらいの大きさである。
重低音と共に上昇していく母船の片隅にスター・ウォーズの「R2-D2」が逆さに吊るされているのが見える。
ジョージ・ルーカスへのオマージュらしい。
このシークエンスは音と光の交錯によって語られるが、とりわけUFOの描写も素晴らしい。
光り輝いてそのシルエットがはっきりしないところがいいが、それが狙いでもある。
案外こんな外観ですみたいにカッチリ映し出されるとウソ臭くなるものだ。
そもそもUFO映画をもってしてウソ臭いというのも変だが。
また、着陸後にアブダクションに遭った人々が解放されるシーンでアレン・ハイネック博士が一瞬カメオで登場している。
アメリカ合衆国政府公認のUFO調査機関「プロジェクト・ブルー・ブック」の責任者で第三種接近遭遇というのも彼の創り出した概念である。
ラストは何とも感動的ではあるが、出来れば宇宙人の造形は出さないで欲しかったなと思う。
「ベン・ハー」のキリストの顔演出や「2001年宇宙の旅」のように何か分からんが知的生命体の香りがする程度の方が奥行きが出ていいような気がする。
とは言えこの映画ほど説明を凌駕し視覚、聴覚に訴えてくる作品はなかなかない。
映画館の片隅であの黒澤明監督がニコニコしながら観ていたという目撃報告がある。
映画という媒体が最高に機能し、興奮と緊張を伴いながらラストには穏やかで安寧な気分へと導いてくれる作品だと言える。