このレビューはネタバレを含みます
未見の方は本レビューを読まずにまずは本編の鑑賞をお勧めします。エンドクレジットで結末はまだ観ぬ方の為に決して漏らさないでとのナレーションが流れるのも珍しいが然もありなんの衝撃的なラストではある。
1957年制作、アガサ・クリスティー原作、ビリー・ワイルダー監督によるサスペンス法廷劇の秀作である。
「私は芸術映画は創らない。ただ映画を撮るだけだ」という言葉を残しているワイルダー監督だが初期の作品にはシリアスなドラマやサスペンスものが多かったものの、中後期は軽いタッチの娯楽作品が主流を占めていく。
・45年「失われた週末」
・49年「サンセット大通り」
・53年「第十七捕虜収容所」
・54年「麗しのサブリナ」
・55年「7年目の浮気」
・57年「翼よ!あれが巴里の灯
だ」
・「昼下がりの情事」
そして58年に本編の「情婦」
・59年「お熱いのがお好き」
・60年の「アパートの鍵貸しま
す」ではアカデミー作品賞、監督賞、脚本賞の3つを史上初めて一人で受賞している。
今でこそあっと驚くどんでん返しやまだあるの的なラストが多くなっているが、当時としてはそれまでにはない衝撃的なラストであったろうと思う。
こうした衝撃的などんでん返しは一つのフォーマットとしてその後もよく使われるようになる。
「シックス・センス」「アザーズ」「真実の行方」「シャッター・アイランド」などラストに度肝を抜かれるショック度数は同質であると言っていい。
殺人の容疑をきせられたレナード(タイロン・パワー)の弁護を請け負うのは病み上がりの老練弁護士ウィルフリッド卿(チャールズ・ロートン)で冒頭からの付き添い看護師プリムソル(エルザ・ランチェスター:チャールズの実際の妻)との軽妙なやり取りは正にワイルダー監督の持味と言ってよく、シリアスさの緩和剤としてよく効いている。
法廷シーンからはシリアスさが増嵩してくる。
レナードが醸し出す雰囲気は観客にも冤罪を強く感じさせる演出がされていて、彼は無実なんだと思わせる方向へ観客を引っ張っていく。
クリスチーネを演ずるマレーネ・ディートリッヒの凛とした気品のある仕振りは相変わらずだが、立ち位置は終始ミステリアスさが漂う。
ところで法廷闘争で形勢不利な状況に追い込まれた主人公側に一発大逆転の証拠や証人が現れるパターンは多い。シドニー・ルメット監督の「評決」などを思い出す。また、リチャード・マーカンド監督の「白と黒のナイフ」では弁護をしている被告からの匿名情報リークで勝訴を得るも、その後の大どんでん返しは凄まじく本編プロットの置き方に相当影響を受けているとも思える。
本編は特に意外性のあるプロットが光る。
彼女がレナードと共謀して敢えてレナードが不利になる証言をし、その偽装工作を証明するクリスチーネの恋人へ書いた手紙をある中年女からのリークで入手する。それが法廷で披露されクリスチーネの偽証が暴かれレナードは無罪を勝ち取ることとなる。
しかしウィルフリッド卿は結審後も何か腑に落ちないものを感じていた。そこでクリスチーネに何故あんな偽証までして無罪にもっていこうとしたのか、普通に証言していても勝てたのにと質すが、妻の証言であり陪審員へのアピールは弱いし、リスクは取りたくないとの考えから架空の愛人への手紙を作りレナードを有罪にして別な恋人の元へ行けるという偽装工作を思いついたとの返事。
ウィルフリッド卿
「無実と知ってたのにか?」
クリスチーネ
「わかってないのね。有罪と
知ってたからよ。」
ウィルフリッド卿の顔色が変わる。殺人を犯していることを知ったのに何故そんなことをするのか質すと「愛してるからよ」とクリスチーネは何の衒いも無く返す。
クリスチーネは結果的に偽証でなく真実を述べていたのだ。
そこへ様子を伺っていたレナードが現れ、なんと新たなレナードの愛人も現れて二人は抱き合う。
レナードの女癖の悪さと極悪振りが暴露される。
逆上したクリスチーネは‥。
アガサ・クリスティーの一捻り二捻りのプロット構成とワイルダー監督の軽妙なタッチもあり俄然面白さが増してあっというラストを迎えることになる。
アカデミー賞に6部門でノミネートされていたが、残念ながら主要4部門は「戦場にかける橋」にもっていかれている。これはやむなしでノミネート年が悪かったということだろう。
いずれにしてもサスペンス性溢れた法廷劇としてアガサ・クリスティーの原作もさることながら、むしろ戯曲同様脚本力のプロットの置き方が光っている一編であり、ラストに用意されたどんでん返しに驚愕する度合いは当時も今も並外れたものがあり記憶に残る映画であることは間違いない。