1993年制作、スティーブン・スピルバーグ監督による恐竜映画の傑作である。
30年前にまだ幼子だった子供達を連れ家族4人で鑑賞した作品である。
この作品を機にそれまでの怪獣や恐竜映画といったSFものがCG映像に転換していったエポックとなる作品でもあった。
SFとは言え恐竜を現代に甦えさせるある種の納得性というものとして遺伝子やDNA操作技術などの生命科学的進展が時代背景の中にあり、原作者マイケル・クライトンの目の付け所の良さを感じる。
「生命は自ら道を見つける」という台詞からはチラッとダーウィンの自然淘汰説も垣間見える。
「カオス理論」や「バタフライ・エフェクト」まで登場してアカデミックな色合いも添える。
そのアイディアを革新的な映像世界で構築しハラハラドキドキのスピルバーグ特製の薬味を添え、その素晴らしさを理屈抜きに本能的に感じとって高揚を楽しむことが出来、本編が大ヒットすることになる。
要するに大人から子供まで同じ土俵で遊べる代物と言える。
幼子の中には恐怖で泣きじゃくる子もいれば、童がえりのお婆さんをして「この島の人達は大変だねェ」と言わしめたりする。
それほどスピルバーグの創り出した恐竜は肉感といい重量感といい、その咆哮と相まって極致のリアリティーを持って迫って来たのである。
「お前、恐竜を見たことあるのかよ」と言われそうだが、多分こんなだったんじゃないかと思わせる説得力に溢れている。
「キングコング」や「ゴジラ」「恐竜百万年」に至るまでT.レックスはすっくと直立的に立ち、尻尾も地に着いていた。そこに古生物学分析が進むなかでそれらを学術的に採用し背骨から尻尾までが地面と平行に描かれることになったのである。
尤も最新研究ではT.レックスの皮膚は鳥の羽で覆われていたとの研究報告も出ているが、そうなると巨大なニワトリっぽくなってどうにも迫力に欠ける。
やはり皮膚は象やサイ系の皮膚がいい。
制作途中でその恐竜の造形をどう表すかに腐心するスピルバーグ監督は当初はフィル・ティペット氏のゴー・モーションで試行していたが、途中でILMのデニス・ミューレンのチームが創造したCGによる映像を見るなり採用を即決したようである。
フィル・ティペット氏は「我々は絶滅した」と嘆いたらしいが、動きのパフォーマーとしてチームに残ったとか。
この台詞はそのまま映画の中で古生物学のグラント博士が生きた恐竜と出くわした後に吐露するシーンで使われている。
インパクトとしては冒頭の古生物学者のグラント夫妻が島に到着後のブラキオザウルスの登場するシークエンスが衝撃的レベルであった。
家族共々口が半開きで感動と恐怖と好奇がない混ぜになったような呆気に取られた感は今でも思い出す。
考えさせるのもよし、ヒューマンで泣けるのもよし、恐怖で毛布に包まるのもよし、本編のごとく理屈抜きに「ウワァー!スゲェー!」と口が半開きになるのもまたいい映画の証なんだろうと思う。