NONAME

ジョーカーのNONAMEのレビュー・感想・評価

ジョーカー(2019年製作の映画)
4.5
こういう書き始めは反則かもしれないが 知ったかぶりしても始まらないので正直に言うと この作品の存在は2019年中盤まで知らなかったし これまでのティム・バートン版やクリストファー・ノーラン版の『バットマン』は これまでの足跡も 本国アメリカで巻き起こしてきた熱狂も体感していない。まぁ熱心なMCUやDCやコミックのファンでは ないから仕方ないし そもそもリアルタイムでの観る映画の90%が洋画という偏向オーディエンス しかもオッサンである。それでもレビューをしなきゃという衝動に駆り立てられるということは そういう絶滅種に近い しかし少なくともニュートラルな視座を持つ人間はこの作品をどう観るか?というお題なのだろう。まさにピエロだぜ オレは。

とはいえ 蓋を開けたら自分の目に馴染みのいい(60年代後半から70年代前半のニューシネマを感じさせる)タイトルバックや テンポが丁度良いセリフ回しと『狼たちの午後』 『カッコーの巣の上で』を匂わせるカメラワークが流れ込んできて なんとなく受け身が取れた。『ネットワーク』 『フォーリング・ダウン』また 『バットマン:ダークナイト・リターンズ』と『バットマン:キリング・ジョーク』を見事に掛け合わせたバートンのオリジンの基本ラインに散々語り尽くされた『タクシードライバー』 『キング・オブ・コメディ』をベースにし ブライアン・デ・パルマを彷彿とさせるスクリプトスクリーンを少しだけ禁欲的にさせるカメラワーク。いや いくらなんでも これはかっこつけすぎだろう。もしくは 観客のセンスのよさを推し量るための踏み絵を意図的に作ったかのような 無駄なこだわりっぷりだ。そして このアメリカン・コミックのひとつ『バットマン』を利用し「キャラクター・スタディ」を標榜したという潔い監督だけあって 影響はマジもんのクラシック&ニューシネマ王道一直線と見た。そう「クラシック」と評するのはたやすいが こんなにスコセッシやデ・パルマ のプロダクション的ツボをバンバン小気味よくシーンを118分も連打出来るのは 冷静に考えるとすごい話である。
そのすごさ=地力を踏まえた上で あえて個人的なダウトをあげると この映画の忙しなさと詰め込み振りを 勿体ないと感じている。映像も音響も無駄がない。しかし 美しい押し絵を思わせる周到で緊密な作り 最初から最後まで一貫した映画の出力値は息付く間も与えない。僕にとっていい映画というのは(いいシーン とは別の話。いいシーンは 一切の文脈なしでも成り立つ)空間とバランス 絶妙なコントランスがキモと信じている自分のようなロートルには ちとせちがらいのだ。
現時点でのベストを 一本にすべて詰め込んだ結果なのかもしれない。が スローなシーン 軽く外したユーモア あるいはルーズさやムラ等 人間(作家や劇中のキャラクター達)の呼吸から自ずと生じるずれ/不整合というのは 人間が集う映画にとっての体臭=個性を形作る要素だと思う。スマートかつニートにシェイプされたこの新生『ジョーカー』から まだ体臭は嗅ぎ取れていない…それが 今の時代のクールってことなのかもしれないけれど。

だが 僕は『タクシードライバー』の意思を受け継ぐ『フォーリング・ダウン』 『バッファロー・’66』『ナポレオン・ダイナマイト』 『ドライヴ』等の持つ 映画の真のパワフルさを信じる。
そして この『ジョーカー』の真価が問われるときも目前だ。
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