開明獣

LORO 欲望のイタリアの開明獣のレビュー・感想・評価

LORO 欲望のイタリア(2018年製作の映画)
4.0
20世紀末から今世紀初頭の賢人の1人にイタリアの故ウンベルト・エーコの名をを挙げることに難色を示すものはあるまい。映像化されたことにより人口に膾炙した「薔薇の名前」よりも、ユダヤ人の問題を歴史的背景から浮き彫りにした「プラハの墓地」は非常に興味深い。19世紀には、群雄割拠であったイタリアにおける謀略の歴史を巧みに物語っている。古くはメディチ家がトスカーナに君臨した昔から、少数の限定されたものたちが権力を握ってきた構図は、メディチ家以前のローマ帝国時代から変わらない。

そのイタリアは、実はアメリカよりも歴史の浅い国なのである。共和国として統一されたイタリアの歴史はわずか150年ほどでしかない。それまでは、都市国家が相並びたち、各国から送られてきた君主が統治を担うなど、一枚岩ではなかった。だからこそ、地方色豊かなのであろう。北のピエモンテでは、肉やチーズが多く食され、パスタもショートパスタが多い。南のプッリャやナポリでは、がらりと食材も趣を変える。日本だって、各県個性豊かとはいえ、一国に統治されてからは、400年以上の歴史を持つ。

そういった歴史の浅さは、抜け目のない悪党の台頭を生む。アメリカ然りである。しかも、そのイタリアの元首は、戦後ではもっとも長い9年間の在籍期間の統治を果たし、今もなお厳然たる影響力を誇っている。

大衆は愚かだ。個々では善なるものが、群れた途端に理性をなくしていく。その上にのっかった、至上の権力を求めるものは、決して満足することはない。彼らにとっては、すべてでは十分ではないから。Loro、イタリア語で彼らとは、饕餮が如く飽くなき欲望に取り憑かれた悪鬼どもを指しているのであろう。それは、一国の元首であり、一介の楽士であり、パーティーに群がる女達や、その女衒、実業家と、様々である。その欲望を究極まで体現化した男を主人公としているが、彼を彼たらしめてるのは、彼に羨望の眼差しを注ぐ悪鬼の予備軍たちなのである。

このエンドレス・ゲームの主人公を、名優トニ・セルヴェッロが凄まじい演技で魅せてくれる。張り付いた笑顔は、まさに空っぽの人間の哀しみと卑しさをギラリと見せつけ、誰も感情移入しないような存在を見事に演じている。それは、底無し沼のような、ブラックホールのような、極めて気持ちの悪い得体の知れない存在で、人間の摩訶不思議な有り様を表しているやうだ。

同時期に観た「アイリッシュマン」のデ・ニーロと比較して、格が違うと感ずる程の凄みだった。デ・ニーロは一流の役者だが、セルヴェッロは超一流だ。どこまでも、魅せることを最優先する娯楽の世界のトップがデ・ニーロならば、セルヴェッロは、芸術の世界まで演ずることを引き上げている役者だ。

退廃的でメランコリックな映像美にも目を奪われた。是非、完全版を観てみたい。
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