エイデン

サマー・オブ・84のエイデンのレビュー・感想・評価

サマー・オブ・84(2017年製作の映画)
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1984年6月 オレゴン州、イプスウィッチ
のどかな田舎町だったはずのこの地では、最近子ども達をはじめとする住民が相次いで失踪するという不気味な事件が起こっていた
郊外の住宅街に住む15歳の少年デイビーは、事件を気に留めながら新聞配達のアルバイトに勤しんでいた
向かいに住むマッキーの家にやって来たデイビーは、新聞代の集金のついでに机を運ぶ手伝いを頼まれる
快く承諾したデイビーは中に入ると、壁に貼られた沢山の少年の写真に目を止める
マッキーは1人暮らしのはずだったため不思議に思ったデイビーに対し、彼は親戚の写真だと説明する
そしてデイビーはマッキーと協力して机を地下へと運び終えるが、南京錠の掛かった小部屋の存在や、趣味だと言う写真の現像に使う暗室を見て不気味さを感じるのだった
その夜 デイビーは、太っちょなウッディ、パンクロックと女性に興味津々のイーツ、科学オタクのファラデイら仲の良い友人達と共に秘密基地に使っているツリーハウスに集合する
そこでデイビーは、おもむろにマッキーが連続殺人鬼ではないかと切り出す
失踪した住民達は皆 マッキーが地下室で殺したのではないかと
しかし3人はそんなはずはないと即答する
マッキーは町でも信頼される警察官だったのだ
それが隠れ蓑だと反論するデイビーだったが、彼自身 常日頃から都市伝説や陰謀論に夢中だったこともあり相手にされない
すぐにイーツは話題をボウリング場でDJをしている年上の美少女ニッキーに移ってしまう
ニッキーは昔 小学生のデイビーのシッターをしていたこともあり、実はデイビーの意中の人だったが、それを知ってかイーツは彼をからかうのだった
やがて夜も更けると、彼らは日課のようにしている かくれんぼをしようと外へと繰り出す
茂みの中に隠れたデイビーは、ふとマッキーの家の窓を目にすると、マッキーと話す少年の姿を目撃する
疑念を確信に変えたデイビーは、翌日 3人を説得すると、マッキーの正体を掴むべく動き始めるのだった



80年代ホラーをフィーチャーした青春スリラー

『グーニーズ』や『スタンド・バイ・ミー』、最近では『IT “それ”が見えたら、終わり。』みたいなジュブナイル映画に区分される
まあ雰囲気は最高
ノスタルジーに惹かれてあるはずのないオレゴンの田舎で遊んでた記憶が蘇る

ただこの作品の素晴らしい点はストーリー、特にオチに集約されるので、ネタバレをしないままに感想をまとめるのが大変難しい
何とか書いてはみるので少しでも面白さが伝われば幸い

ストーリーは正しく少年達の冒険を描いたジュブナイル作品というのが大きなポイントで、友情と恋心を孕んだ健全な青春をし、幼いながらの無謀さと正義感で連続殺人鬼を追うという姿が眩しい
そしてもう一つはパッケージのキャッチコピーにもある「連続殺人鬼も誰かの隣人だ」という言葉
作中でも使われるセリフなんだけど、本作の凄まじさはこのセリフに集約されてる
相当ロクでもない青春を過ごした製作陣が考えたに違いない
マジで好き

マッキーは果たして連続殺人鬼なのか?という追求を中心に、ぶっちゃけ途中の展開に予想を超えてくるものはほぼないんだけど、問題はラスト
正直 度肝を抜かれたし、久々に震え上がった
ノスタルジックな雰囲気に浸り、ヒロイックに活躍していく少年達を微笑ましく応援していたらコレですよ
ここまで認識していた作品の根本を覆す恐怖
ジュブナイル映画の素晴らしさは、童心に帰っての懐古主義にも近いものがあると思ってるんだけど、その認識で観ていたら完全に足元をすくわれた
ホラー要素が少なめかと思いきや、溜めた力の全てをラストに放り込んでくる
一種の邪悪すぎるユーモアとも取れるけど、真面目に笑えないぞ

非常によく練られたプロットが全力で襲いかかって来る、ありそうでなかった恐怖の形
この手のノスタルジックな映画が好きな人ほど、(良い意味で)嫌いになりそうな素晴らしい悪意に満ちた作品なので観ましょう
青春を謳歌した人ほど観て
エイデン

エイデン