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僕たちは希望という名の列車に乗ったのtaruponのレビュー・感想・評価

4.5
すごくよかった。
政治的な対立の中での高校生の行動だが、そこにあるのは観念的な思想ではない。
本能的に感じる自由への憧れ、自由を目指して戦った人への素朴な共感と哀悼の気持ち、友人を裏切ることや自分自身の気持ちを曲げて保身を図ることへの嫌悪 等等。成熟した大人の熟考した行動ではない。一つ一つの行動は純粋に湧き上がる素朴な感情からでてきたもの。でも、それが密告され当局の知ることとなり、国家への反逆とみなされ追い込まれていく。
最初は、クルトとテオがちょっとした出来心から西側の映画館に潜り込み、そこでニュース映像をみたことから始まる。でも、一度知ってしまったことに対して湧き上がる気持ちに蓋をできず、2分間の黙祷をクラスで行い、物事はどんどん大きくなっていく。より多くの情報、真実を知りたいと西側のラジオを傍受しにいったり、そういう中で、最初は何となくノリだったり多数決の中で流されていたクラスの他のメンバーもそれぞれに考えるようになり選択していく。最後テオが、それぞれが考えて自分のとるべき道を考えてというところが印象的。でも、そういう自分の頭で考え始めた人間は、体制側にとって一番厄介で処罰するべき存在。
いろいろなバックグラウンドを持つクラスのメンバーが、それぞれに考え人生に対する大きな決断をしていく、せざるを得なくなっていく姿を、息を詰めるような思いで見守るそんな作品だった。





以下、ネタバレ。

西側に出ていくことを決めたクルト、テオそれぞれの家族との別れに胸が苦しくなる。
西側へ逃れることを勧めるクルトの母、そして高官の父との最後の握手、
一方でテオの貧しいながらも支えあってきた家族との別れ。
どうしても、主人公たちの目線と同時に親の立場でも見てしまうのだが、もう一生会えなくなることはわかっていても、でもやっぱり送り出すことになるのだろうなと思う。

またストーリーの中で、テオとクルトの友情とその動向に心惹かれると同時に、戦争中ソ連側についていながら、おそらく仕方なくナチス側に寝返ることになったあげく処刑された父の真実を知らされるエリックに心が痛む。
あの姿をみていると、心の中で支えとしているものを失った時に人がどう壊れるのかを思い知る。

それにしても、この作品を見て、日本とドイツの戦後の差はこういうことなんだろうなとも思った。
決して、ドイツを無条件に肯定するわけではないけれど、
家族の中にナチス関係者がいたり、迫害された人、裏切った人等、加害者被害者が入り混じる中で、その子ども世代も負の部分を背負わざるを得ず、それについて自問せざるを得ない状況で育っている。
日本は、空襲や原爆の被害者としての意識はあっても加害者としての視点が、島国なこともあり希薄なように感じる(私だけ?)
そういう部分の積み重ねが、他国との関係性の持ち方等に差が出てきているんじゃないのかなと感じた。(まぁ、自国の被害だけをとりあげるのは、日本に限ったことではないけれど)

感情を揺さぶられ、いろいろ問いかけられることも多い作品だった。
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