カツマ

ザ・ライダーのカツマのレビュー・感想・評価

ザ・ライダー(2017年製作の映画)
4.2
生きることは駆けること。大自然の下、人と馬は限りなく溶け込み、その景色を美しく切り取った。彼にとって、ロデオこそが生きる道。それは例え、死を宣告されたとしても譲れない道だった。カウボーイとしての死を迎えるか、家族のために生き続けるか。広大な大地は決してその答えを教えてはくれない。葛藤は暴れ出し、手綱を握る手は血にまみれていた。

『ノマドランド』がゴールデングローブ賞のドラマ部門の作品賞を受賞したりと、今、何かと話題の尽きない監督クロエ・ジャオ。中国、北京出身の彼女が、『ノマドランド』の前に撮った作品が本作となる。実際の調教師とその家族、ロデオライダーをそのまま配役としてキャスティング。しかも、彼らの人生をそのまま作品として残している、という点において、限りなくドキュメンタリーに近い手法で撮られている。アメリカの荒野を美しい映像へと焼き付け、人間と馬の交流、そして、カウボーイの生き様を、大自然のせせらぎのような静けさで表現した作品だった。

〜あらすじ〜

ロデオ中に落馬し、頭蓋骨に重傷を負ったロデオライダーのブレイディ・ブラックバーン。その怪我は彼の再起を阻むには十分すぎるほどの大怪我で、彼は家族からもロデオの復帰を反対されていた。ブレイディは父とは折り合いが悪かったが、自閉症の妹は彼の人生を賭してでも守りたい大切な存在で、ブレイディの心の内は揺れていた。
そんな折、見舞いに来たカウボーイ仲間たちと焚き火を囲むすがら、ブレイディたちは友人のロデオライダー、レインへと祈りを捧げた。レインはかつてはロデオライダーのスターだったが、怪我の後遺症により全身麻痺の障害を負ってしまっていた。実はブレイディ自身も手に障害を負っており、それが彼の復帰を妨げる最大の要因の一つでもあった。だが、彼の血潮には動かし難いカウボーイの血が流れている。馬を見て、調教をしていれば、彼の思考はロデオへ飛び出す未来へと駆け出してしまっていて・・。

〜見どころと感想〜

この物語はロデオライダー、ブレイディ・ジャンドローの実話がもとになっている。主人公の名前はブレイディ・ブラックバーンとなっているが、演じているのはブレイディ・ジャンドロー本人であり、自身の体験を映画として再現しているという意味で今作は特別である。クロエ・ジャオ監督はブレイディとは2015年の時点で出会っており、その後、ブレイディが大怪我を負った後に二人は再会。その奇跡的な交錯が、この映画を世に送り出す序章となった。

ブレイディ以外にも父親のティム、自閉症のリリー、そして、全身麻痺のリハビリ生活を余儀なくされているレインらも何と本人が演じている。それはもはや演じている、という次元を超越した人生のモンタージュとしての姿。特にレインとブレイディとのリハビリシーンは完全なるドキュメントであり、兄弟分同士の魂の交換でもあった。

そして、クロエ監督は今作でマジックアワー(夕刻、夜になる直前の時間帯)での撮影を多用しており、それはブレイディ自身が馬の調教を終えた後に撮影に挑んでいることで生まれる必然でもあった。しかし、それが結果として本作のカメラワークを薄いオレンジ色の色彩へと没入させており、ブレイディの心象風景となって画面上に表出した。それは彼のロデオライダーとしての黄昏。馬と駆けるその姿はあまりにも雄大で美しく、今にも大自然と一体化してしまいそうなのに。

この映画は吹き付ける風をも撮影した稀有な作品。出演者の生き様を永遠に刻み付け、そして、そこで生きていくことの難解さを説いている。『諦めるな』という言葉を主人公はどんな想いの中に仕舞ったのか。それはブレイディ自身のその後の人生だけが証明してくれる真実なのだろう。

〜あとがき〜

『ノマドランド』公開を控えるこのタイミングで、クロエ・ジャオ監督の名を有名にした本作を鑑賞することができました。日本では劇場未公開だったようで、こうして配信してくれたのは嬉しい限り。半ドキュメンタリーというスタイルを取りながら、素人が演じている、という印象はほとんどなく、それが本作の作品としての強度を高めているように感じます。

クロエ監督は、女性監督かつアジア系をルーツに持つ、という点でも現代映画シーンを牽引していってほしい存在ですが、もちろんそれは彼女の映像を切り取るセンスが人並み外れているからこそ成せる技。『ノマドランド』そしてマーベル作品の『The Eternals』と、新作を控える同監督に今後も注目していきたいと思いますね。
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