ohassy

ジョジョ・ラビットのohassyのレビュー・感想・評価

ジョジョ・ラビット(2019年製作の映画)
4.0
ニュージーランドの国民的コメディアン且つ国民的映画監督のタイカ・ワイティティ監督は、日本では「マイティー・ソー バトルロイヤル」の監督として知られているけれど、それもどちらかといえばマーベル印の方が印象が強いので、本作が作家としての看板になるだろう。
才能ある映像作家にはこういう作品があるものだ。
ミシェル・ゴンドリーの「エターナル・サンシャイン」、PTAの「マグノリア」「パンチドランクラブ」、マーク・ウェブの「(500)日のサマー」、ちょっと古くはダニー・ボイルの「トレインスポッティング」とか。
さらにはスパイク・ジョーンズの「マルコヴィッチの穴」「かいじゅうたちのいるところ」「her/世界でひとつの彼女」、すべてのウェス・アンダーソン作品、などなどキリがないけれど。

全ての作品に言えるのは、個性的で上品で、エモーショナルで、何より「かわいい」。
本作は舞台やテーマが非常に重く、ストーリーも当然重いのだけれど、終始かわいく、生きることへの賞賛に満ちていて、辛さの表現にはあえての奥ゆかしさがある。
子供の目を通した大人世界の理不尽や非情さが訴えてくる一方で、純然としたボーイミーツガール映画でもあることが、本作の大きな魅力だろう。

ジョジョはヒトラーユーゲントとしては落第生で、いじめられがちなひ弱な男の子。
イマジナリーフレンドとしてヒトラーを選んでしまうくらいには追い詰められているわけだが、当時ドイツで最強のヒーローといえばヒトラーだから、ベストチョイスなのかもしれない。
子供たちはそういう教育を受け、憧れ、ナチスを裏切るものは親でも許さない、ヒトラーこそが父親だと育っているのだから。
そんな、例に漏れずナチスに憧れを抱くジョジョが、少女との出会いで少しずつ自立性が芽生え、視野を広げていく様は見応えがあるし、人への希望に満ちてもいる。

欧米の作品でよく見かける父殺しのテーマ同様、ジョジョの父親も例のごとく不在で、想像上のヒトラーに父姓を求めている。
経験がないので分からないが、立派で魅力的な母親がいてもそういうものなのだろうか。
立派で魅力的な母親を演じるスカヨハは、黒いつなぎ以外の格好を久しぶりに見た気がするけれど、やっぱりただの美人ではなかった。
凛として、チャーミングで、大きな愛を感じさせる母親を、それはそれは魅力的に表現する。
登場してもしていなくても、その存在が終始作品を支配していた。

ナチスとして登場するキャラクターも非常に人間的で、単なる極悪非道な悪役として登場しない。
それはきっとそうだったのだろうと、僕も思う。
時代やら社会やらが、そうさせていたのだろう。
見事に人間臭い大尉のサム・ロックウェルも、大尉の横でシナを作る腰巾着のアルフィー・アレンも、最も強烈さを放っていた女軍人のレベル・ウィルソンも、最高に笑えてカッコ悪くて素敵だ。
だからと言って、監督演じるヒトラー含め観客がナチス好きにはならないように、注意深くチューニングされているところもよく考えられている。
戦争において罪があるのは個人ではないということであれば、僕は共感する。

マウリ族の父親とロシア系ユダヤ人の母親を持つ監督が自ら人種差別の権化たるヒトラーを演じるというのは、最高にクールでロックなことなのだろうなあ。
ohassy

ohassy