映画館で鑑賞
「なぜ生きるのか」ではなく、「なぜ生きてこれたのか」
そして、「なぜ生きてこれたのか」と考えるということは、「俺って生きているんだな」と感じるということだと思いました。
共感と呼ぶには乏しい“同調”に、溜め込んだものを吐き出したいからと強要する“同調”。
考えることをせず、物事を断定し、理由付けをして結果(答え)に飛びつく人々は、なぜか変わりようがない結果の出ている過去には目を向けない。
そこにもまた“同調”があって、独りでは生きてゆけない人の“さだめ”が垣間見える。
そんな感じがしました。
根っこがなければ、生えることも無く咲くことも無い。“栄養剤”だけじゃ、錆も出てしまう。
トイチの疲弊しきった顔や背中に加え、押し殺しながらも「俺にはこうするしかないんだ」と取った選択が、強く胸に刺さりました。
心臓の鼓動のような、迫ってくる音が印象的です
素晴らしい作品です。