ルサチマ

追風のルサチマのレビュー・感想・評価

追風(2007年製作の映画)
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臺北市立美術館「一一重構:楊德昌」回顧展 にて。未完のため採点不可。

以下、今回の大回顧展についての備忘録。

『クーリンチェ』の白色テロを描いた取調べの切り返しに始まり、台湾の政治情勢に翻弄される儒教思想の大人たちを見た子供たちが西洋文化に影響され、それぞれの党を結成する。その党を行き来する孔子の思想の体現者の如き少女がいる。これはヤンが個人史と中国史、台湾史を切り結ぶ試みだったかも。

続く『恐怖分子』の展示。戒厳令下に撮られた作品であり、それは大陸と本省人、さらには「アメリカ」の間にいた中華民国の人間の世界を描くため、徹底的に「アメリカ」的な撮影と編集によって当時の台湾を表象する態度に思えた。

そこから展示はさらに年代を遡り、81年のテレビ作品『浮草』と翌年の台湾ニューウェーブの幕開けとされる『光陰的故事』の中の『指望』、初の長編『海辺の一日』、そして『台北ストーリー』を一気に紹介するが、面白いのは『指望』以前の企画書からわかる通り、英語と中国語でのシナリオ執筆を実践していたこと。異なる言語を行き来(切り返し)しながら物語を見出す独自の制作方法が見受けられ、然しそれには台湾ニューウェーブという文脈自体がアメリカから帰国した技術者によって支えられたものという二重性が起因してるように思う。ただヤンの場合はかなり意図的に言語の曖昧さを積極的に取り込んだと言える。

そして展示はヤンの多声性について焦点が当てられ、ヘルツォークが書いた旅の日記「Of Walking in Ice」を朗読するヤンの声が『恐怖分子』『台北ストーリー』『海辺の一日』の抜粋とともにインスタレーションで流れるのだが……とある一日の朗読の後に『恐怖分子』で自殺を試みる少女と見せかけた不良少女の悪戯電話のナレーションへ画面が移行するのは見事。ヘルツォークのテキストをヤンが英語で代読するという言語の不一致と、映画の中の画面上と音声の不一致が重なり、テキストと画面が見る者の言葉に対する思考を誘う。だが、そもそも30歳で見たという『アギーレ神の怒り』が映画を志すきっかけになったとして、その監督の日記を朗読して且つ録音まで記録するという行為には単なるリスペクト以上のものがあったんじゃないかという気がする。95年にヤンはヘルツォークとアメリカで会うことになり、手紙を交わしている。ヤンは同時代的なアカデミックの分野での思想をもろに吸収し、時に反発しているが、ヘルツォークの映画の文明批判には当時のヤンの台湾国籍を持つ中国人という立場となにか共鳴するところがあったのだろうか。ヘルツォークについてあまり丁寧に見たことがないのでハッキリとは分からない。

ヤンの多声性については同時代の他の作家や、自分の作品の中で自らの声を劇中人物の声として吹き込んでいたことが明らかにされる。『クーリンチェ』のハニーがヤンの声だったことには驚いたし、『恋愛時代』のダンスシーンの音楽をヤンが歌った録音データも聞けた(あまりにノリが良くて笑える)。

続くセクションでは『恋愛時代』と『カップルズ』そして同時期に取り組んでいた演劇と学生たちへの教育の側面に焦点が当てられる。『恋愛時代』の下になった舞台『如果』は見たことがあったが、『成長時代』や香港で招待されて制作した2本の舞台の記録も紹介される。香港での最初の上演は97年だ。これは香港返還に際して依頼されたものらしく、続く2000年では『リア王』をヤンの解釈で上演したという。これは明らかに台湾に移民としてやってきた中国人としてのヤンの思考が現れた仕事だったんじゃないかと想像する。『リア王』については記録映像が展示されておらず詳しい内容は把握できなかった。

『恋愛時代』は『クーリンチェ』や『恐怖分子』の時代から進んだ90年代の台湾で、芸術が政治に取って代わり、然しそこで行われる活動は政治的な知略と代わりない実態を描いたものだが、芸術家やビジネスマンらが図式的に交換可能な人間関係を築く中で、儒教思想から西洋的独立の鬩ぎ合いが焦点となる。近代化する台湾情勢でヤンは学生たちを起用した劇映画作りに取り組む。これは映画内でのエセ芸術家たちの創作方法とは対照的に民主主義的な取り組み方で、通常の映画制作の慣習から距離を取った批評的実践だった。そしてそのような慣習そのものを疑うことについて取り組んだのが『カップルズ』なのではないかと。

『カップルズ』は『恋愛時代』以降、国際的地位を確立した台湾が舞台となる。ルドワイヤン演じるフランス女が、誰とも交換可能な不良少年の中の通訳係と「キスは不吉」なルールに囚われない新たな価値を見出すことで、「死」を迎えても歯止めはかからない近代化した社会の慣習に否を唱える。

終盤の展示はクライマックスとして『ヤンヤン』と未完の『追風』にいたるまでを紹介する。『ヤンヤン』では『カップルズ』で描いた国際化した台湾で、今度は若者以前の少年、若者以降の大人たちを含むあらゆる世代で『カップルズ』の実践を敷衍させることが可能なのかどうかが問われてるように感じた。

『ヤンヤン』以降のアニメの活動は、まず『追風』以外にも検討されていたという企画やアニメ専門の会社を設立したという経緯、そしてそこで作られたいくつかの映像が展示されていて、ヤンの晩年の知られざる活動の数々に驚愕。少女と犬のアニメ企画の下書きで『ヤンヤン』の延長にある物語がまざまざと感じられて落涙。個人的に『ヤンヤン』で印象的なのはヤンヤンが初めて異性を意識する少女のパンチラとその教室で流れる生命にまつわる映像の重なりだが、ヤンが生きていたらきっと生命の起源に迫る物語を描いたと想像される。

ヤンが手塚治虫を畏敬していたことは有名だが、それも恐らく紙というアナログのメディアの中でアトムという近未来が生命の躍動感に満ちて描かれていたことはきっと重大な要因だったと思う。映画は近代的な装置だが、元々はパラパラ漫画と同じ原理で生み出され、その純粋な形がアニメだと考えたのかも。ヤンはやはり全身映画作家というわけではないが、映画という構造にはきっと相当思考を巡らせていたと思う。「一一重構」という展示のタイトルもこの点ですごく腑に落ちた。未完の『追風』が長回しの移動撮影を使用した形式を取っていることも、ヤンの構造的思考が伺える。

未完なので具体的な内容についてはわからないが『追風』の題材が中国の武侠を扱っていることから、中国史に踏み込んだものになったであろうことは疑いない。ヤンの映画は時代の人間の変化を描いていると語られがちだが、むしろ変化しないことを繰り返し描いた人のはず。ヤンが「歴史を描くことは面白くなるに違いない。なぜなら現代人が変わらずそこにいるからだ」というようなことを発言していたテキストも紹介されていた。ヤンの映画の批評性は没後15年を経過した現代にも未だ有効だ。

最後にヤンは全身映画作家ではないと書いたし、事実アニメに向かったが、学生時代アメリカの映画学校に入学してドイツ人の講師に学んだヤンが早々に学校を離脱してシステムエンジニアに戻りつつ、結局は台湾で映画を撮ったように、『追風』を終えたあと、きっとヤンは映画にまた戻っただろう。
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