岡田拓朗

窮鼠はチーズの夢を見るの岡田拓朗のレビュー・感想・評価

窮鼠はチーズの夢を見る(2020年製作の映画)
4.0
窮鼠はチーズの夢を見る

好きで、好きで、苦しくて、幸せ。

設定としての同性愛というテーマ性を考えさせるような作品ではなく、あくまで人間の奥底に踏み込んで、恋愛と好きになることについて、そしてそれらを取り巻く気持ちや感情の移り変わりを、語りではなく演出で映し出してくる稀有な傑作だった。
映画の醍醐味でもある余白を生む演出が際立っている。

何かしらのテーマにフォーカスをし過ぎてしまうと、いわゆる一般論的な語り口で全体が描かれた上での、当人たちが描かれるようになってしまうので、どうしても人間の根源(深み)にまで踏み込めない傾向があるが、本作は全く逆だと感じた。

あくまで当人たちにしかフォーカスされずに、色んな人間が絡んでいく人間模様がしっかりと描かれて、映し出されていく。

テーマに向き合うのではなく、人間そのものに向き合う。
そこにこの設定を基にする作品のネクストステージを見た気がするし、時代はより柔軟に多様性が共存できるようになってきている実感を持てる。

男女間にある壁と恋愛というものを全く別物として描いた上で、両想いであったとしても、「男と男が一緒になることが果たしてできるのであろうか。いや、そもそも僕たち2人は一緒に時を歩み続けることができるのであろうか」という気持ちを、周りからの見られ方の問題としてじゃなく、当人たちの中にある問題として、しっかりと描かれているのが非常によかった。

主人公である大倉忠義さん演じる大伴恭一と成田凌さん演じる今ヶ瀬渉みたいな人っていなさそうでいそうな絶妙なラインな人物像として描かれていて、そのラインを絶妙に演じ切ってるのが本当に凄い!

誰もを傷つけたくなくて、誰もに優しいけど、誰もに流されて優しくしてしまうから、結果的に誰かを傷つけてしまう恭一。
普通に浮気もしちゃってるし、完全に罪な男なのに、なぜかそう思わせないただならぬ雰囲気がある。
そんな恭一は色んな人に好意を持たれる。

しかも感情が全く読めずに、何を考えてるのかが全然わからない。
そもそも感情があるのかすらもわからなくて、基本的に能動側でなく受動側で全ての人間関係をこなしているような印象を受けた。
他者と本当の意味で心を通わせることもなかったように見える。

そんな恭一に踏み込みまくっていく今ヶ瀬。
恭一のことを一途に想い続けつつも、付き合えるわけでもないから、他の人との関係も持ちながら、恭一への想いは消えず諦めることもできていなかった。
そんな今ヶ瀬も掴み所がなく、不思議な魅力や雰囲気を纏っている二次元っぽさがある。

人に自らの領域を踏み込まれたことがなく、一定の距離感を保っていた恭一は、今ヶ瀬に踏み込まれていくことで、徐々に心が動いていく感じが、映し出される演出により伝わってくる。

心が徐々に通い合っていきそうになっていく中で、一緒にいたい想いは募っていってるはずなのに、現実に目を向けると本当にその関係でい続けられるのかの不安も同時に募り始める。

この恋愛模様が、何とも愛おしくもあり、切なくもあり、なぜかどこか思い当たる節を感じさせられた。
同性愛だからではなく、どんな人にも想像できる余地があって、一緒にいたいと思うからこそのそれらが詰まっていた。

愛されたいと願う今ヶ瀬に対して、愛がわからずに他者を愛すことができない恭一。
好きであることが、苦しいけど、幸せで、それなしでは生きていくことができない。
それはあのときにきっぱりとお互いが離れる決断をしなかったから、より気持ちとして深まるものになる。

お互いが決断を迫られても、先延ばしにしてきたがゆえのあのラスト。
どう捉えたらいいかもわからない二人の世界。
追う/追われるの関係が対等になることはく、一緒にい続けられることができないと悟ったからこその、あれのように感じた。

現実と幻想の共存。
心底惚れるというのは、その人だけが例外になること。
まさにそうなんだろうなと思った。

何とも言えない余韻がしばらく残り続けて離れない。

P.S.
この内容の作品が、シネコンの最も人数の収容できるスクリーンで上映されてるのが本当に嬉しくて奇跡的だと思う。
これは主演の大倉忠義さんと成田凌さんだからこそ実現できたことだろう。
この役をそれぞれ受けられたことに対してだけでも感服なのに、お二人の演技が凄すぎて、他に適役が絶対にいないなと思った。
恭一のキャラ全てがハマりまくって説得力がありまくる大倉忠義さんとシーンごとに細かく表情や動きがわかり心情が伝わってくる成田凌さん。
さらに吉田志織さんも『チワワちゃん』のときとは、また違う魅力のある女性でとてもよかった。
キャッチコピーも素晴らしすぎる。
岡田拓朗

岡田拓朗