Oto

DUNE/デューン 砂の惑星のOtoのレビュー・感想・評価

DUNE/デューン 砂の惑星(2020年製作の映画)
3.9
「選ばれし者の宿命」が"足枷"から"責任"へと変わる瞬間を描いた物語、と言うべきか。

SFの中でも非常に特殊だと感じたのは、物語の前半で葛藤や共感性を描くことを放棄していること。8000年後の遠い未来の設定で、しかも主人公は公爵の息子という恵まれた立場にいながら、未来を見通せる特殊能力を持ち、しかも親から守られた「安全地帯」にいる。こんな非日常的で限定的な設定を現代人が自分ごと化するのは簡単じゃない。憧れより共感の時代と言われる今に逆行しているし、歴史的名作のリメイク、しかも2部作という映画だから許されたこと。

でもそこから一家に危機が迫ることで突如として「家族」の物語が生まれ、ドラマに厚みが生まれる。『メッセージ』も『スターウォーズ』も『インターステラー』も結局は家族愛の物語だけど、その設定を説明するため、伏線を作るために前半が丸々使われていたことがわかる。もちろん父親の大切さを観客に共有してから亡くなった方がその喪失感は大きいし、"声"で未来を変える訓練を描いた方が成功した時の嬉しさは大きいし、夢を通してチャニの存在を繰り返し示してから出会った方が感動は大きいけれど、なかなかこんな大胆な時間の使い方は見ないので驚いた。

とあるプロデューサーが「物語のKPIを"記憶に長く強く留まること"としたときに、ストーリーなんて観客に覚えてもらえない、残るのはいつもシーンやセリフだけ。残したいほんの一瞬のために、ストーリー全体が存在している」ということを言っていてすごく腑に落ちたのを思い出す(映画大好きポンポさんが脚本を手渡すシーンを思い出してもそうだった)。
そう考えるとこの作品は、父の死をスタートとして、主人公の声が作用する2つのシーン(恐怖による母への怒鳴りと、飛行機の中での協力)と、ラストの決闘のために存在していたと感じた。主人公の成長が可視化されたシーン。そして、物語の「前提」とも言えるような大きなものが失われた瞬間。

つまり、ストーリーはある種「規定演技」でしかなくて、その他のあらゆる自由演技によって、直感的に本能的に、観客の心をつかむような何かを作り出そうとしていたのだと思う。
声を使いこなせず、水すらもとってもらえない主人公が、教母の声によって支配されながらも訓練を乗り越え、さらには父の死によって後継者としての自覚を持ち、自らの声と剣によって大切なものを守ろうと決意する姿に観客は心を動かされる。

その過程においても、
・過酷の砂漠環境でのサバイバル(舞うスパイス、鼻栓、スーツとマスク、飛行機、砂虫、潜入虫...)
・印象的な悪役(奇妙な砂や液体に包まれて、いとも簡単に殺人を行う)
・恐ろしい夢(血や炎、謎の女、ナイフ...)
・未来を操る声(ドルビーアトモスで見て正解)
など、とにかく視覚的・聴覚的に同じモチーフを繰り返し用いて、心に残る映像を作り上げている。「職人」と呼ばれるドゥニが選ばれたのも納得。

原作や過去のリメイクの知見がない中で、なぜ今この大作を作り直す意味があったのかは語れないけど、「皇帝」という見えない敵によってあらゆるものが奪われていくなかで、初めて自分のやるべきことを自覚して闘うことを選ぶ姿には、今の時代の多くの人が自分を重ねられるのではないかと思う。

誰しもが泣ける「自己犠牲」のシーンも見どころだと思うけど、終盤の砂漠は特にめちゃめちゃすごいものをみている感覚があった。
もはやモノクロにも見えるほど残酷な夜の砂漠の中で、「異物」である砂虫やフレメンから認められる。この繊細な迫力は大きなスクリーンでしか味わえないと思うし、配信に猛抗議するドゥニの気持ちもわかった。

アトレイデス家、ハルコンネン家、フレメン、帝国の区別が前半ついてなかったので、簡単な設定は学んでから見に行った方がいいのかもと思ったけれど、そこら辺を曖昧にしていたからこそ後半の裏切りが生みやすいという部分もあってお勧めの仕方が難しい。
でも、シャラメ、大砂漠、アクション、という3要素だけで十分見る価値があると思うし、自分みたいな新参者ものめりこめたので原作や過去作に遡りたい。
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