ずどこんちょ

ラストナイト・イン・ソーホーのずどこんちょのレビュー・感想・評価

3.7
エドガー・ライト監督による、ちょっと怖いサスペンスホラー映画です。
『ベイビー・ドライバー』でもカッコいい音楽と共に楽しめましたが、今回は60年代の一昔前の音楽や当時の世界観で楽しめます。

ファッションデザイナーを夢見て憧れのロンドンへと上京を果たした主人公のエロイーズ。
一緒に暮らしていた祖母は、彼女の母親がかつてロンドンのエネルギーに圧倒されて心を病みながら帰京してきたことから、孫娘の上京を心配しながら見送っていました。
早速初日から寮の同年代に見下され、都会の暮らしに孤独を感じていたエロイーズは、学校の近くに下宿人を募集している家を見つけます。
喜んでその屋根裏部屋に間借りすることとなったエロイーズでしたが、彼女の特殊な"力"によって、部屋に染み付いていた過去の記憶が夜な夜な夢に現れ始めるのです。
それはエロイーズが憧れる60年代の、サンディという女性の記憶でした。サンディは歌手になることを夢見てロンドンに上京。ところが、サンディはジャックという歓楽街を牛耳る男に言葉巧みに誘われ、上客の相手をするよう強要され始めるのです。
それは華やかな歌手の未来に隠れていた薄汚い裏の世界。サンディの深い悲しみや苦しみにエロイーズは次第に共鳴していきます。やがて、エロイーズは覚醒中にもジャックや欲望に塗れた男たちの幻影に苦しめられるようになってくるのです。

エロイーズ役はトーマシン・マッケンジー。サンディ役はアニャ・テイラー=ジョイです。
アニャ・テイラー=ジョイがお姫様のように美しい。同性のエロイーズが彼女に憧れて見つめ続けてしまうのも理解できます。もちろん歌手を夢見ているという点でデザイナーを夢見るエロイーズに共鳴する部分はあったのでしょうが、それ以上にサンディには人を惹きつける魅力があるのです。
歌も踊りも、高飛車で気品のある感じも良い。ドレスを身にまとえば、ドレスを誰よりも美しく見せてくれる女性です。
エロイーズが服飾科のデザイン実技で彼女をモデルにイラストを描いてしまうほど魅力されています。
だからこそ、そんなサンディの夢を打ち砕き、夢見る彼女を「その他大勢」の中へと落とし込んで娼婦に仕立て上げるジャックや薄汚い男たちが恐ろしい化け物のように映るのです。

やがて人間の悪意が渦巻く幻影はエロイーズの現実世界にも現れるようになり、彼女は精神的に追い詰められていきます。
そしてある夜、エロイーズは恐ろしい記憶を目の当たりにしてしまいます。
それは、エロイーズの住むこの部屋でサンディがジャックに滅多刺しにされてしまうという記憶でした。

ジャックやのっぺらぼうの男たちの幻影が見え始めるとホラー調が増していくのですが、割とサスペンス風に描いているので戦慄するほどの怖さはありません。
エロイーズの母親も統合失調症と思われる心の病によって自殺しており、彼女の見る幻影が「幽霊に宿った記憶」なのか、はたまた病の症状なのかは定かではありません。
エロイーズが相談した警察をはじめとする多くの人々は都合の良い解釈に落ち着きたいため、彼女が発症していると踏んでいます。
彼女にとって、現実世界に幻影が見えるということ自体は事実なのですが、この現象が何であるのかを突き止めることはエロイーズにも必要なことでした。過去に本当に起こった出来事なのか、それとも脳内で再生されるただの妄想なのか。

そして、ついにエロイーズがこの街に住み続けることを諦めて帰郷することを決意したその時、その答えは屋根裏部屋を貸していたオーナー、ミス・コリンズによって不意に明らかになるのです。それは、エロイーズが見えていなかったサンディの本当の記憶でした。
ちなみにミス・コリンズを演じていたダイアナ・リグはかつて007のボンドガールを演じていた女優だそうで。作中、当時の007の作品が上映されていたのは、彼女とのリンクもあったのかもしれません。

都会に染みついた人々の記憶。華やかな記憶もあれば、痛ましい悲しみの記憶も染み付いています。
ロンドンでは数多の人々が死んでいる。どこの家でも、どこの部屋でも、どこの街角でも過去には誰かが死んでいる。
ミス・コリンズがそうやって語っていたのには、彼女が実際に見てきた過去の背景があったのです。
図書館で調べた新聞記事にその背景を匂わせる要素を混ぜ込んでるのも上手い伏線でした。
過去を遡れば数多の人々が行方不明になっていたり死亡したりしているというロンドンの前情報を先に提示されていたため、その事実を鵜呑みにして、上手くカモフラージュされていることに気付きませんでした。

古き良き時代をノスタルジックに憧れるような作品かと思えばそうではありません。
エロイーズは祖母の影響から60年代カルチャーに憧れており、聴いている音楽もファッションのセンスもその当時の影響を受けています。60年代ロンドンは世界で最も活気に満ちていたと信じている。
夢の中でその当時の世界観に浸っていた頃は至福の時だったに違いありません。
華やかな夜のネオン街、オシャレな服に身を包んだ洗練された大人たちとダンスミュージック。

ところが、蓋を開けてみれば欲望や人の悪意が渦巻いている裏の世界が見えてきます。夢見て上京してきた純粋な女性たちが言いくるめられ、男の欲の矛先として都合よく扱われています。
たとえノスタルジックで美しく見える過去であっても、その当時にはその当時の表層部分には現れない人間の罪や苦しみが必ずあるはずなのです。
現代もいつかは「あの時は良かった」と言われる時代になるように、どんな時代であれ悪意はその当時にもあったはずなのです。
エロイーズと共に、古き良き時代へ憧れる人々の幻影は簡単に覆されます。
表に映る憧れと、裏の真実の見え方はまるで違う。本作で始めのうちは鏡を通して幻影が映し出されていたことも、そのことを示唆しているのかもしれません。

パブの常連の老人の正体が意外な人物であったように、サンディの記憶が正確なものではなかったように、物事や人の見え方は決して一つではないということなのでしょう。
"あの頃は良かった"とよく言いますが、本当に良かったわけではない。現代に目を向けてみれば、クラスメイトのジョンのように親身になって寄り添ってくれる人も側にいたりします。
過去の出来事も、人の印象も、決めつけて一つの見え方で判断するのは危険なことです。特に、多くの人々の思惑が渦巻く都会という場所では、危険な人物ほど表と裏を使い分けているのだから。