岡田拓朗

ミッドサマーの岡田拓朗のレビュー・感想・評価

ミッドサマー(2019年製作の映画)
3.7
ミッドサマー

祝祭がはじまる。

人が絶望から希望へ変貌を遂げる強烈な楽園がそこには広がっていた。

ただし誰かにとっての楽園は、誰かにとっては地獄でしかない。
それほどに極地にいるということは、正常に見えて実は異常であり、それは誰もにとっての楽園なんてものは存在しないことをも意味する。

生きている世界がとことん合わないことの恐怖と絶望、逆にそれがハマったときの底知れぬ多幸感、でもその多幸感はドラッグを使うときのそれみたいな幻覚のような快楽に過ぎない。
でも幻覚や幻想もいつかは現実との見境いがつかなくなり、その世界が現実となる可能性をも秘めている。

育った環境によって作られる当たり前や常識、はたまた人としての倫理観をいとも簡単にミッドサマーは崩そうとしてくる。
何も知らない状態で今までの環境とは異世界に入ることによってくすぐられる人間的好奇心と本能がことごとく裏目に出て、楽園に洗脳されていく様は、客観的に見たら異常でしかないのだが、入り込んでしまうと抜け出せない強度を持っているようであった。

それだけ(特に弱っている状態の)人の心や感情は移り変わりやすいものであると同時に、操りやすいものであることを示しているようだ。

この世界に没入し入り込みたいと思ってしまったとしたら、かなり危険なのではないだろうか。
現実世界で満たされないものをひとときの快楽や楽園により満たそうとするとそれはもう抜け出せなくなる。

例えば学歴社会で勝ってきた人たちが社会に出て苦労し、わかりやすい制度により操られ、倫理観が欠如していくオウム真理教なんかが、この作品と同じ原理として言えるのではないかと思う。カルトですね。
あとはネットワークビジネスなんかも近しい感じがする。
疑問を呈すことなく、何かにのめり込んで周りが見えなくなること、集団心理に屈することが、今まで培ってきたものを壊すことに繋がる。

だからこの映画に自分は心が動くわけがなかったし動きたくもなかった。
今まで作り上げてきたものを全て壊すことになりかねない。
あくまで客観的にアートとして享受するものでありたい。
ただし、共同体を確立し崩さないために人の生死に至る倫理観までもを、揺るがそうとするものがこの中には宿っていて恐ろしい。

そういう意味では、自分の確固たる意思がないと住む世界、関わる人、環境によっていとも簡単に人は操られてしまう怖さを露呈しつつ、そこが楽園になり抜け出せなくなる人の心理までを類い稀なアートに落とし込み、映画として映し出している物凄い作品だと言える。

住んでいる実社会に、自らの人生に「絶望」してるとき(絶望の淵に立っているとき)、何かに縋りたいときに、この映画を観てしまったら何かやばい気がすると感じた。

それ以外にも、あるとき突然予期せぬできごとから、逃げられない異世界に放り込まれるかもしれないこともあるから、そのときに自我を保てるかはわからない。そんな怖さもある。

正しさや正義は、人や環境によって変わるから一貫性がなく移りゆくものであるというのを言い切ってしまってるのも怖く、この世の本質をも突いているのではないかと感じてしまうのもやばい。
人の生死をわけることにおける倫理観をも壊しにかかってくる。

これはとてつもない衝撃作であると同時にとてつもない問題作!
エンターテイメントというよりアートで、しかも物凄くカルト的。
おもしろいかどうかというよりは引き込まれるかどうか。
理性と感性がせめぎ合う映画ではないかと。

そして自分はそのせめぎ合いに勝利できたのではと感じる。
それは感覚的にこの世界はよい、楽園だと思いながらも、ここに住みたいとは思わなかったし、あくまで客観視できたからである。
自らの今まで積み重ねてきたものがあることで、この世界にちゃんと拒否反応を示せたのがよかった。

総じて自らの人間性を試されてるように感じる映画であった。
メンタルがやられすぎてるときは、特効薬になりそうだが、あえてこの映画をおすすめできない。
これはジョーカーの行き着く先とも言えよう。

P.S.
アリアスター監督、ご自身の失恋に着想を得てこの映画を作られたみたいですが、失恋からここまでの世界を創れるのが本当に凄い。
意味がわからない。これが芸術家なのか。
失恋がここまで絶望的であり、楽園がないと救われないものなのかと。
これを機に楽園と理想郷の違いについても考えてみた。
楽園には倫理観や自我が存在せず、そこにあるのは決められた秩序だけ。
それゆえに痛みを伴うことがないが、決められたことに全て従わないといけない。
理想郷には倫理観や自我が存在していて、その上で多様な価値観や考え方が共存する。
それゆえに寄り添い合わないといけないし、意見が異なることにより痛みを伴うこともある。
どちらも当人にとってポジティブな居場所になるという意味では変わらないのだが、楽園は外から見ると異常に見えがち。
こう解釈すると、やはり理想郷が素敵だなと思った。
『いなくなれ、群青』みたいな世界観ですね!
岡田拓朗

岡田拓朗