銀幕短評(#508)
「82年生まれ、キム・ジヨン」
2019年、韓国。 1時間58分。
総合評価 69点。
(告知)
以下の拙文は、書籍版を読んだのちに、大きく改変します。 22年2月。
と思ったのですが、読書はやめて「性差別について」を、「プロミシング・ヤング・ウーマン」の回に書きました。読んでいただけると幸いです。
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むかし アメリカ ミシガン州のデトロイト事務所に着任したわたしは、分不相応にもおおきな窓付きの個室のオフィスをあてがわれました。ドアに名札が貼りだされ、4,5人のミーティングならじゅうぶん対応できる広さです。その初日にいくつかの契約書類にサインをさせられたのですが、いまでも忘れられないのが「セクシャルハラスメント」に関する書類です。頼りない英語力では太刀打ちできないほどその規定はこまかく、同性であれ異性であれ職位の上下を問わず、ハラスメントを犯した場合は法と事務所規定にもとづき厳しく処罰される、と書いてありました。契約社会だからいちいちこういう署名が必要だとは理解できるのですが、セクハラが独立した誓約書として切り出されていることに、日米の意識の彼我を思い知らされたのです。それ以来、その経験はわたしが異性に接するときの振る舞いのスタンダードになっています。
去年だったでしょうか。行きつけのコーヒー屋さんで 女の子(といってもわたしは 大学生から30才台の女性に敬意を込めてそう呼びますが)数人とはなしをしていたとき、ふと もし生まれかわったら男と女とどちらに生まれたいかとわたしが尋ねました。そうすると、彼女たちの全員が男に生まれたいと答えたのです。わたしは意外の感に打たれ、「どうして? 女は差別されるから?」ととっさに尋ねると、彼女たちはだまってこっくりうなずいたのです。
おなじコーヒー屋さんで、こんども女の子たちとはなしをしているとき、ふと生理(というのももって回ったいいかたで、つまり月経ですね)がじぶんの場合どれほど重くてつらいか、どれほど経血が多いかを語ってくれました。女性のそういうたいへんさや悩みはわたしの想像力のまったくそとのはなしでした。つまり女は男とまったく異なる身体のしくみや、そこから派生したこころの もちようをしているのです。
おとこにせよ、おんなにせよ、ヒトが進化の過程で役割分担を決めたのにすぎないのだから、そこに優劣のあるわけがない。そうですよね。ただチカラは一般に男がまさる。そこに一定のハンディをつけることが役割分担として期待される。つまり重い荷物は背負うべきだ。しかし日本にせよ 世界にせよ、男女差別の根は深い。百年千年の単位で脈々とつづいてきた悪習を正すべきは当代のわたしたちの手にゆだねられている。という気概は すくなくとも必要ですね。
男尊女卑、というのは歴史的に もちいられてきたいやないい回しですが、男女の平等を声高にさけぶ前に、じっさいのところ 個と個の平等をもっと意識すべきではないのか。女がおんなを差別する、おとこが男を差別する。そういうことだっていくらでもあるでしょう。いずれにせよ狭量というほかはない。相手に敬意をもって接すること、たっとぶこと。それは男女差別の是正にもつながる。個の尊重は現代社会のエチケットなのに、それがおざなりにされるのはなぜだろう?
「性差別について」を、「プロミシング・ヤング・ウーマン」の回で書きました。