ベイビー

燃ゆる女の肖像のベイビーのネタバレレビュー・内容・結末

燃ゆる女の肖像(2019年製作の映画)
4.5

このレビューはネタバレを含みます

いやー、物凄い作品。
女性が語る、女性に特化した物語。
そして、徹底された美しさよ…

時は中世。主人公は女性画家。

もうそれだけで様々な情報が集約されていますよね。つまりは制約。あの時代の絵画アカデミーのヒエラルキーでは、女性画家は宗教画や歴史画を描いてはならず、許されるのは静物画や肖像画のみ。しかも肖像画は女性しか描かせてもらえず、男性を描くことが許されない時代でした。

そのような時代背景や女性画家という情報を入れつつ、意図的に仕組まれたような横顔のカットの多用。今作の特徴として、女性たちの美しい横顔のカットが頻繁に映し出されていましたが、それはこの物語の構成としっかり重なり、物語のラスト(肖像画の仕上げ)を組み立てるデッサン画のような役割として、繊細な彼女たちの心の移り変わりを描いているように見えます。

それと併せて他のどのシーンも絵画のように美しく、僅かな自然光やロウソクの光量を拾い上げて作られた構図と色彩は、繊細な柔らかさで"女性らしい"印象を漂わせています。

「女性らしさ」

この作品の凄いところは、この物語に"男"の存在がどこにも感じられず、終始女性の心情に特化して物語が語られていることだと思います。

女性が描く女性だけの世界
男尊女卑という時代背景に描かれる女性の感情

先にも触れたとおり、この時代は絵を描くのに規制が在ったことは勿論、中絶や同性愛は完全に認められていません。いわゆる禁忌です。これはオルフェウスの物語で言えば「振り返るな」という言葉とも重なります。

しかし、この作品に出て来る女性たちは、そのタブーを大袈裟に捉えていません。後にマリアンヌらはソフィの中絶の場面を忠実に絵に描き留めようとしますが、これは見ようによっては宗教、または宗教画を愚弄するような行為と言われかねません。ところが彼女らにはそんな思惑は微塵もなく、ただ心のまま、自然のままに生き、ありのままに感情を燃やし、大切に思えたあの瞬間を絵の中に閉じ込めようとしただけなのです。

「燃ゆる女の肖像」

このタイトルが本当に素晴らしいですよね。肖像という言葉の意味が、幾つものメタファーとなってジリジリとラストカットに繋がって行きます。先程の画角についてもそうでしたが、音楽の使い方も非常に効果的に使われているのが分かります。

先ずはピアノでの演奏。続いて焚き火の合唱。そしてラストのヴィヴァルディ協奏曲第2番ト短調 RV 315「夏」。今作での音楽は、この三箇所でしか使われていません。

二人が出会ったばかりのころ、マリアンヌはエロイーズに「これは私の好きな曲」と言いながらピアノを弾き始め、そして音楽にも感情があることを教えます。その時に弾いた曲はヴィヴァルディの「夏」の一節であり、この曲がきっかけで二人は距離を縮めて行きます。

これを念頭に"曲"を"筆"に置き換えると、最初の拙いピアノの曲は、デッサンの一筆目ということになります。その意味は、迷いながら走らす最初の筆。これは作品の冒頭で象徴的に描かれていたとおり、不安や理解の足りなさから踏み出す"第一歩"を表しているように感じます。

その後の焚き火の曲については、本当に描くべき姿や色彩が見つかったことを意味し、そしてラストでのオーケストラの演奏は、作品の仕上がり、すなわち肖像画の完成を意味するのでしょう…

「その絵はいつ仕上がるの?」
「来る時が来ればいずれ仕上がりますよ」

この作品の演出の全てが、あのラストへの道筋だと考えると体が震えてしまいます。あの涙、あの横顔。全ての伏線があのラストに集約されていたのだと思うと、その文脈の美しさに身悶えしてしまうのです。

きっと、この作品のラストについては観た人それぞれで感じ方が変わるのだと思います。それはまるで絵画のようです。「燃ゆる女の肖像」というタイトルの絵をずっと鑑賞していたような感覚です。

いつまでも眺めていたい作品。本当に素晴らしい作品。全てが完璧で、全てが美し過ぎます。

あ〜、映画館で観たかったなぁ
ベイビー

ベイビー