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燃ゆる女の肖像のtanayukiのレビュー・感想・評価

燃ゆる女の肖像(2019年製作の映画)
4.4
相手のことをよく見ることと、その人に興味をもち、もっと知りたいと思うことは、どちらが先かということは鶏と卵の関係と同じでたいした意味はなくて、興味があるから見るし、見ているうちにますます興味が出てきて、いつしか恋に似た感情が芽生えてくる。こうした感情は、相手が異性だからとか、もともと恋愛対象となるような相手だからといったことは関係なくて、自分よりはるかに年上の男性でも、逆に、自分の子と同じくらいの年齢の人でも、リスペクトできる相手なら、多かれ少なかれ、似たような感情がわきおこる。

仕事でインタビューをするときもまさにそうで、こちらの感情が動かされるくらいのときのほうが得るものが大きく、結果として、いいものが書ける気がしている。(もちろん、それが恋愛に発展することはないのだけど)

もっと知りたいということと、もっとそばで見ていたいということは、実はほとんど同じことではないかと感じていて、こちらがその気で接していれば、それは相手にもきっと伝わる。もっとよく知りたい、もっとそばで見ていたいというのを裏返せば、自分のことをもっと知ってほしい、自分をもっと見てほしいということになるわけで、双方ともにそうした感情が狂おしいほど高まったときは、それがすなわち大恋愛となる。

だが、ギリシャ神話のオルフェウスの物語は、愛する相手をよく見たいという人間の自然な感情を拒絶する。毒蛇に噛まれた妻を冥界から連れ戻す条件として、「冥界から抜け出すまでの間、決して後ろを振り返ってはならない」と釘を刺されたのにもかかわらず、オルフェウスは後ろを振り返って妻の姿を確認しようとしてしまう。だが、その結果、2人は二度と会えなくなってしまった。

マリアンヌとエロイーズが別れる場面で、顔を伏せて立ち去ろうとするマリアンヌに対して、エロイーズは「振り返って」と声をかけ、マリアンヌは振り返ってしまう。それは決して結ばれない2人の永遠の別れを決定づけるシーンだ。だが、後年、コンサートホールで2人が偶然再会したとき、エロイーズは決してマリアンヌのほうを振り返ろうとはしなかった。2人の思い出の曲、ヴィヴァルディの「四季・夏」の第3楽章を聴き、全身をふるわせながらも、決してマリアンヌを見ようとしないエロイーズ。それは、結ばれることはないとわかっていても、心の中に生き続けるマリアンヌを失うことを拒否したエロイーズなりの愛の表現だった。

見たいのに見れない。いや、見たいのに見ない。その強い意志と制約の中にこそ、禁じられた愛の炎が燃えあがる。エロイーズこそ燃ゆる女その人だ。(実際、燃えてたし)

△2022/10/19 ネトフリ鑑賞。スコア4.4
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