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その手に触れるまでのKKMXのレビュー・感想・評価

その手に触れるまで(2019年製作の映画)
4.6
 自分とは遺伝子レベルでシンクロしているとしか思えないダルデンヌ兄弟の最新作。相変わらず自分の魂にフィットしすぎる名作でした。

 13歳のゲーム好きイスラム系移民少年のアメッドはイスラム原理主義者の近所のオッさんに感化されて、超過激派イスラームになりました。アメッドの先生は進歩派のイスラム教徒。オッさんに「お前の先生は標的だ」とけしかけられて、先生暗殺を敢行!しかし流石に失敗し、少年院送りとなり…というストーリー。

 もうね、開始15分くらいで先生刺殺未遂事件が起きるあたりがダルデンズ。『ある子供』でブリュノが自分の子を売っ払って恋人のソニアにドヤ顔報告したのがそれくらい。ダルデンズの場合、ビックリ事件から物語がスタートします。


 本作を観て思ったことは、モロに思春期の話だな、と。ダルデンズ版中二病物語。

 思春期は、生まれて初めて世界と自分を意識し、『自分とは何か』『意味とは何か』を考える時期だと思います。子ども時代までは考えなくても生きてこれたのですが、近代的自我を持つ大人になるには考えざるを得ない。ある意味、考えることが大人への第一歩です。
 しかし、考えたってすぐに答えは出ない。その人が考えて、感じて、体験を重ねてその人なりの答えが少しずつ実感されていくのだと思います。まぁ一生かけて取り掛かる仕事みたいなモノですね。
 また、ある程度のところで得られる答えはリアルで地に足がついたものである可能性が高いです。理想の空を飛ぶ少年から、土を踏みしめて歩く大人になるのです。つまり、理想と自分なりに折り合いをつけることが大事だったりします。
 しかし、この折り合いはリアルであってもピュアではない。折り合いをつけた大人は、『複雑な世界を生きる人間』なのですが、ピュアな子ども時代からそれを見ると『汚れた大人』なのかもしれません。
(折り合いをつけてさらにピュアを獲得する人もおり、その手の人は芸術家になることが多そうです。詳しく知らないけどジョン・レノンとか)

 アメッドはピュアなんですよ。子ども時代の純粋さに固執している。世界や自分の複雑さを受け入れられず、そのため内面が激しく揺れる。その揺れから逃れるために、純粋でシンプルな世界に入り込んで多様性や複雑さを仮想敵として拒絶する。

 これを日本では中二病と呼びます。大人への通過儀礼である中二病は無症状に近いものから軽症〜重症とグラデーションがあります。正直「邪気眼!」とか言って自分を異界の住人に重ねるような軽いヤツは「痛い!黒歴史!」で済んでネタになるけど、重症は死にますし殺しますからね。古くは荒井由美の『ひこうき雲』、相米慎二の『台風クラブ』などが死に至る中二病の代表でしょう。アメッドは他殺型の中二病です。メカニズムは邪気眼と同じですが、完全に異界にハマりこんでこの世を浄化しようとする劇症ケース!

 ではなぜアメッドは劇症中二病に罹患したのか?それは、移民・家庭内に割と大きめの傷つきがある・従兄弟がテロリスト(?)で死んでいる等の要因があったからかもしれませんが、正直よくわかりません。
 ひとつ言えることは、極端なピュアさは原理主義と相性バッチリだということです。世界の捉え方が同じパターンなのですぐハマる。アメッドは近くに原理主義者のオッさんがいたから感化されたんでしょう。しかし、アメッド運が悪いね!とは言えない。ネットを開いたガチ中2が、好きな絵師さんがレイシストと知り、それに感化されてネトウヨに…みたいなケースなんてゴマンとありそう。本質的にはとても身近な内容だと思います。つまり、重度中二病になる危険性は現代社会のどこにでも潜んでいるのだと感じました。他のダルデンズ作品と同じく、本作もいつも通り普遍的なテーマです。

 で、ピュアの果てにはなにが待っているのか。ひとつは爆死。自殺もそうだし、カルトや原理主義のテロリズムもそれにあたります。ある意味ピュア完結型ですね。外から見れば悲劇です。
 そしてもうひとつは生々しいリアルに敗れ去ること。アメッドは細かなリアルを体験していきます。少年院のプログラムである農場での作業等が、ジャブのように細かく入っているように思えたのです。一見効いてないけどたぶん効いている。リアルワールドが自分の信じたい世界ではないことが、無意識に少しずつ蓄積されていきます。そして、リビドーが試合を左右する有効打となり、フィジカルの痛みがフィニッシュブローとなりました。

 我々は生々しい肉体を持つ存在です。メシを食えばクソをするし、ムラつけばセクロスしたりオナニーする。身体は痛むし、一方で幸福で心地よさも感じる。このいわば清濁合わせ飲んだ生々しい活動から人間は逃れられない。生々しさを受け入れること、これが大人を生きるスタートなのではないかと思います。
 そして、大人の世界には他者が存在します。生々しさに打ちのめされて、心身ともに痛みを抱えたとき、ついに自分と向かい合い、他者の存在に気づくのかもしれません。


 その他も観応えあるポイントあり。まず、基本的に大人たちが大人(笑)。みんなアメッドの変化を待つことができています。待てる。これは不安を抱えて堪えなければできない態度です。ダルデンズ作品にはこの『抱え堪え』がたくさん出てきます。それがまた最高なのよ!本作も先生・母親・少年院の皆さん等、多くの大人が抱え堪えて待っておりました。見守る。この言葉もピタっとくるかも。とても難しいことだと思います、行動しないで待つことって。

 その逆も然りで、大人のクソズルさも描かれています。ダルデンズに出てくる大人のクソさは、すべて見苦しい保身です。アメッドを洗脳したオッさんは、アメッドがパクられる前に「俺はお前を煽ってないからな、わかったな」とあまりにもダサい保身をカマしてました。この辺の卑小さがリアルなんですよね〜。負のリアルも描くから、希望がリアルなんですよ。ほんとシビれるなぁ。

 あと、イスラーム移民の人たちのグラデーションもリアルだった。先生がフランス語学習のために歌を教材にしたい、という説明会を開いたのですが、意見がかなり多様です。「そんなのダメだ」という強硬意見から、どんどん取り入れよう的なリベラル意見も。それらの意見も細かく見るとそれぞれの考えに立脚しているので十人十色です。理屈ではわかっているものの、実際に観るともう一段深いところで腑に落ちるのです。これがまたダルデンズ・リアリズムなんだよなぁ、最高!


 今回も「あ〜ダルデンズ観たなぁ」という最強充実感を得ることができました。
 ちなみに俺は、現在7作観てますが、最低点が4.6 (2020年7月現在)。ホントにシンクロしてるとしか思えないほど自分に合ってます。これこそ自分が観たい映画のひとつの究極系なんですよね。

 とはいえ本作はダルデンズ最低点の4.6。やや強引な展開が見られたこと、レギュラーメンバーのグルメおじさんが登場しないこと、エンディングに曲がついたことが理由です。ダルデンズの無音エンディングの切れ味が好きなので、ちょっと興醒めでありました。
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