すごい、の一言。
純愛と呼ぶには痛々しい程の愛だった。
助け合う二人だった。
これは——痛みの共有の物語だった。
中国の受験戦争の激しさは知識では知っている物の、全ての物語が受験を中心に動いていく様子を観ていると、その過酷さを思い知る。
チェン・ニェンは言う「大人になる為の勉強はしてないから不安だ」
母親は愛は有るけど詐欺師で、教師はマシンのように大学合格を叫び、警察は頼りにならなかった。大人の見本が傍に居ない状態で、二人が必死に見つけようとした解決策は悲痛なものだった。
シャオベイは言う「勉強は俺には無意味だ。俺には何もない」
でもシャオベイはチェン・ニェンの痛みに共感して泣いた。大人を頼れず訪ねてきたチェンを受け入れるシャオベイ。二人が、お互いの為に泣くことが出来る関係になっていく過程は、美しく、そして切なかった。
見どころは後半だ。大学受験を迎えて一段落する物語ではなかった。
もういい、もう二人を放っておいてあげて、と願いながら見る物の、現実は容赦ない。
「何故イジメを通報しなかったの」と助けてくれもしないのに、問い詰める事だけはする大人の無力さよ。でもちゃんと落とし前をつけるのがこの映画の立派なところだ。
後半涙でスクリーンが見えない事も多かったが、最後のワンカットまで観続けて、この物語はラブストーリーだったんだと知る。
——どうか二人を照らす光が温かいものでありますように。
そう祈りたくなるほど、本当に、素晴らしい純愛を見た。