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笑いのカイブツの06のレビュー・感想・評価

笑いのカイブツ(2023年製作の映画)
3.7
人間関係不得意の、お笑いに命賭けた若者が、社会に適合できずにその才能ごとすり潰されていく映画。世間とのバランスが取れない天才ツチヤタカユキ。でも彼が人生を費やしたお笑いは、世間を笑わす為のものなのだ。

「もっと人生上手くやれよ」とつい思ってしまうのは、僕が天才じゃないからだろうか。お笑いに人生ぶっこんで、鬼気迫る様子でネタを描き続けるツチヤは常人には見えない。彼みたいな人間が職場にいると、絶対遠巻きにして関わらない自信がある。だって、挨拶もしない愛想の悪いやつと、どうやって付き合えというのだ。ましてや、自分の尊敬する人間が、そいつを可愛がってるなら尚更。嫉妬心も湧くというものだ。

ツチヤがもっと上手く人生をやってくれたら、周りの人間だって幸せだ。上手いこと才能への嫉妬に折り合いをつけれる。でも、ツチヤは死にかけるほど人間関係不得意だし、なんなら純粋な笑いの為に、わざと人間関係を鍛えようとしない。
だから余計に、誰も幸せにならない構図が産まれる。

「生きづらい人が、これを観て少しでも生きやすくなるように」
とどこかのインタビューで読んだ。僕はだいぶ人の顔色をうかがう、世間を”生きやすい”人間なので、ツチヤみたいな人間がこの映画を観て何を思うかはわからない。

だがラストシーンのあの衝動を「かっこいい」と思う気持ちは、誰しも変わらないと思う。


ところで。
映画の中盤に「挨拶を練習する」「先輩の真似をしてお惣菜を買う」という周囲に迎合しようとするシーンがあった。あれは原作にはない。
物語の作劇的にはよく効いているが、ツチヤの「純粋なお笑い以外何もいらん」という精神とは相性が悪いのではないか?
「お笑いしかやらなかったから、迎合できなかった」と「迎合しようとしてもムリだった」だと、だいぶ意味合いが変わってくる。

「真におもしろい芸人は、礼儀正しいというより、礼儀以上の〝正しさ〟への筋道を、独自に自分の頭でつくる。お笑いに狂うからこそ、自分だけは絶対に、〝正しく〟なければならない。
そう誓って、笑いを突き詰めようとすればするほど、周りからどんどん浮いていった。それでも周囲との溝を徹底的に無視しながら、おもしろさだけを見ていた」——原作より。
より切実なカイブツを感じたかったら、ぜひ原作もオススメしたい。

とりあえず、挫折しながらも今なおツチヤタカユキが生きていて、尚且つ本を2冊も出してる事を喜ばしいと思う。

人間関係不得意でも、人間は意外としぶとい。
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