田島史也

ブラック・レインの田島史也のレビュー・感想・評価

ブラック・レイン(1989年製作の映画)
3.5
NY警察の荒くれ者ニックとお人好しチャーリーがジャパニーズマフィアの事件に巻き込まれ、正義感の強い日本警察のマツ(高倉健)と共に宿敵佐藤(松田優作)を追う作品。刑事ドラマとヒューマンドラマ、ヤクザ映画の要素が組み込まれ、日本とアメリカの文化的な違いを扱った本作。単なる日米の対立構図という二元論に迎合させることなく、しかしながら事件の根底には「ブラックレイン」、即ち米軍の負の遺産が存在し、根本的な対立構図を覗かせる。その絶妙な設定により、本作は単純明快なストーリー展開でありながらも、非凡な世界観を演出してみせた。(ただ、ブラックレインについては言及はされたものの、ストーリーの軸には存在せず、タイトルに据えるほどのものか、という疑問はある)

本作が作られたのは、日本がまだイケイケだった時代。ジャパンアズナンバーワンと称される程に、世界の中で存在感を強め、過度に美化されていた日本を、リドリー・スコットの手腕により、捉え直した。

日本のヤクザとかネオンの風景とか、外国目線の日本描写が最高。お役所仕事のお堅い感じを皮肉っているのも良い。受付で2時間待たされるのとか、日本だなぁって感じ。外国の作品にしては珍しく日本への理解度が高いな、と感じる。異国感のために過度に演出されていないというか。勿論所々の違和感は否めないが。例えば看板の文字列とか。ただ、とにかく看板を多く目立たせておけば日本の都市風景が出来上がるというのは正しい。

きっとこの世界はこの時代だったから描けたものなのだろう。今撮ろうと思っても、そこに急進的な日本の姿はない。本作の成立のためには、日本が風刺されても耐えうる余裕がなくてはならない。バブル全盛期に、全てを受け入れられるだけの寛容さと、皮肉っても問題ないほどの圧倒的な勢いを持ち合わせていたから成立したのだ。それ程にリドリー・スコット流の偏見の切れ味は鋭い。「アメリカは映画と音楽だけ。日本は機械を作り未来を掴んだ。」このセリフを高倉健に言わせ、それが了解されている辺り、当時の世相を物語っている。今の時代にこの発言は決して成立しない。日本が惨めなだけだ。

ハリウッド作品なのに、日本人が英語を理解できないことを利用して彼らを滑稽に描くことはせず、むしろ日本語を理解できない警官2人に焦点を当てた点が賞賛に値する。あくまでマジョリティは日本の側にあり、警官2人はお尋ね者なのである。いわば米国中心主義的な描写を一切排し、それどころか、日本というアウェイを敢えて演出したところにその意匠が感じられる。

日本の文化に否定的だったニックが、チャーリーの死をきっかけにそれを受け入れようとする。形見という文化によって、ニックと高倉健を分かつ文化上の齟齬が溶解していく。この辺りの描写が本当に美しかった。言語や文化の違いから対立するも、共通の悔しさや悲しみという感情からそれを受け入れ、そして認め合う。それでこそ日米両国を描く意味があるというものだ。

やっぱり、松田優作と高倉健の存在感はすごい。日本という国が隆盛を極め、その時代に活躍した俳優がハリウッドで起用され
る。一つの時代を象徴するような作品であり、歴史的な意義を持つ作品であると思われる。


映像0.7,音声0.6,ストーリー0.7,俳優1,その他0.5
田島史也

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