「ぶっさwトランペットやめるわw」
若いときのチェット・ベイカーといえばモテモテイケメンのトランペッターだった。
が、晩年の彼は顔面しわしわくちゃくちゃ。
この映画ではオーバーなのかリアルなのかわからないくらいのしわくちゃメイクで、一歩間違えればアインシュタインの稲田にみえる。
もちろんぶさすぎてトランペットをやめたわけではなく、なぜ伝説的ミュージシャンである彼がオランダの路上で息絶えたのかという理由に迫っていく話だ。
死人が物語を語ると言った構図は、「アメリカン・ビューティー」を思い出す。
チェット・ベイカーの話はイーサン・ホーク主演の「ブルーに生まれついて」で描かれており、トランペット×ジャズといえばスパイク・リーの「モ・ベター・ブルース」だ。
本作のポイントとして、”悪魔”というワードが何度も登場するが、漫画「監獄学園」で有名な平本アキラが伝説的なブルース歌手である”ロバート・ジョンソン”をモデルにした「俺と悪魔のブルーズ」という作品を描いており、そこにも何度も”悪魔”というワードが登場する。
「俺と悪魔のブルーズ」との違いは、”悪魔と才能を取引するある契約”を結んだブルースマンの話に対して、本作は”ヘロインを打ち続けても死なない体をもらう契約”だという点である。
とりわけチェット・ベイカーだけがヘロインにのめり込んだわけではなく、多くのジャズミュージシャンがそうであったと聞いているが、その理由は様々である。
ただ、彼の当時の状況がクリアになるにつれて、その片鱗を感じることの出来る映画に仕上がっているのがおもしろい。のかもしれない。
が、刑事がこの真相に迫っていくというサスペンス的展開が果たして上手く機能していたのか疑問である。
また、刑事とチェット・ベイカーの繋がりも薄く、その背景も分かりづらいために入り込むことが出来なかった。
彼のファンであれば、なるほどと唸るシーンがあるのかもしれないが、そうでなければ素直にドキュメンタリー作品や、書物で調べたほうが良いだろう。
あえてメッセージを受け取れば、人間だれしも”かまちょ”のおしつけは良くないよということである。
かまちょ側とかまちょ受ける側のちょうどいいバランス関係を保つことが重要なのだ。