「誰も見ることはないけど、たしかに存在してる」
外で印象的な光景を目にしたり、思い出深い時間を過ごした時。形あるものとして残したいと思う。
スマホを取り出してパシャリ。
スマホの中には沢山の思い出が詰まっている。
でもリアルな時間と、残された記録。
改めて写真や動画を見返すと、記録はリアルに遠く及ばないことを知る。
そのような意味で映画とは、
「リアルには遠く及ばない」という諦めとともにあるメディアなのだと思う。
『街の上で』は、多くの映画のから切り捨てられてきた、「誰もみることはないけどたしかに存在した」光景を集めたような作品だ。
このような光景を撮るのは非常に難しい。
カメラを向けられた途端「誰かがみるための存在」に変わってしまうからだ。
最近趣味でお芝居をしている。
やってみて気づいたのだけど、喜怒哀楽を迫真を持って演じることよりも、なんの変哲もない光景を演じる方がよっぽど難しい。なんの変哲もない時にほど、人は細やかな動きをしているからだ。
劇中、17分にわたる長回しのシーンがある。部屋の中で過去の恋愛話などをするという、それこそ何の変哲もないシーンだ。
食い入るように観てしまった。
17分間の犯人の逃走劇を観るよりもよほど、たくさんの細やかな情報が込められたシーンだったからだ。
ぼくは長い映画が苦手だ。映画の適正な尺は90分だと思ってる。でもこの映画なら5時間でも観ていられる。
本当にいい映画は、いつ始まってもいつ終わってもいい内容を魅力を持って伝えられる作品だと思う。
『ストレンジャーザンパラダイス』でジム・ジャームッシュが、狭い部屋での若者たちのやりとりを、追い続けたように。
今泉 力哉監督は下北沢での若者の情景を、ユーモアのリボンに包んで届ける。
最後に中田青渚さん。
初めて観たのだけどほんとうにほんとうに素晴らしかった。気になって彼女のインタビューのYouTubeなどを見た。
インタビューの時よりも芝居中の方が遥かに自然だった。映画の中でこそ「自然に居る」ことができる役者さんもいるのだなぁと思った。他の作品も観てみたい。