さいごん

ミセス・ノイズィのさいごんのレビュー・感想・評価

ミセス・ノイズィ(2019年製作の映画)
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視聴前に元になった騒動の客観的な経緯や現在の論調などを確認した上で視聴。
ちなみに星をつけていない理由は後述。

なるほど、この作品の伝えたい事は分かるよ。
分かるんだけどなんだかスッキリもしない。
このあと長々と書くけど、基本は好きな系統の映画だし意義がある映画だとも思う。
ただ、テーマから考えた時にどうしても気になる描写が少なくない。

とりあえずは元の騒動について考えてみる。
ネットでは今は割と「実は悪かったのは隣人説」が信じたい真実のようだ。
ただ、その根拠となるものは信憑性の欠片もない話が大半だったりする。
だからと言って隣人が悪かった可能性もあるし、騒音おばさんが悪かった可能性もある。
もちろんその両方だという可能性も。
だから客観的な事実すらもハッキリしないのに、ましてやどちらが悪いなんて言っちゃダメなんだよ。

ここの問題提起についてはこの映画は良かったと思える部分が多い。だけど若干引っかかる部分もある。
立場によって視点が違うというのを描いた点は多くの人が1番評価しているポイントだと思う。
しかもそれをしっかりとエンタメとして楽しめる作りになっていて、ここは素直に大好き。

ただ、描き方の方向性がどうしても「美和子が善人」「真紀が未熟」に寄りすぎている気もする。
(野菜のエピソードで美和子の善人故の狂気を描いてバランスはとってはいるが...)
現実の騒動をベースにしている事、更に現在の論調の流れを考えるとちょっと気になるところだった。
まぁ吉田恵輔監督の空白を最近見たばかりで「フラットな視点」に対してのハードルが異常に上がっているのはあるけれど。


まぁまぁまぁ、ここまでなら全然面白い映画だったなぁで終われた。
問題はこの先。
マスコミとネットを悪者に描き過ぎ問題。

近年の邦画で割とこれが気になる事はあるんだけど、この映画では特にこれはやっちゃいけなかったと思う。
もちろん現実の元の騒動に対してマスコミもネットも騒音おばさんとしてオモチャみたいに扱っていた事実はある。
俺だってそれに対しては反吐が出そうな程に嫌悪感を持っている。
振り返った時にマスコミとネットの嫌な部分が出ていた事がハッキリ分かる実例だったわけで、そこに批判をしたいのは本当に気持ちは分かる。
ただ、マスコミにもネットにも良心の一面だってあるわけで。
監督自身がラベリングや一方的な見方の危険性について話をしているけど、この映画での描き方こそ一方的になっていないだろうか。

また、なによりもこの映画のテーマを考えた時に分かりやすい悪者は作っちゃいけなかったと思うんだ。
何故ならこれを見た人は「自分の事」として考えなきゃいけないから。
美和子と真紀にはそれぞれ事情がありました→悪いのはマスコミです、SNSです、大衆ですと着地してしまうのは安易すぎやしませんか。
やっている事は現実の「騒音おばさんという変な奴がいるぞ」→「いやいや、隣人が悪いらしいぞ」と常に誰かを悪者にしていく風潮と似たものを感じてしまう。

テーマを考えた時に大衆が悪いというところに帰結するのは良いと思う。
ただし、それはこの映画を見ている自分自身を含んだ大衆でなければいけない。
自分の姿勢を考えなければいけない。
でもこの映画は自分を含まない「お前ら」が悪いに繋がっていく気がするんだよなぁ。

やりたい事、描きたい事は極めて正しい。
でも出来上がったものは更に根深い問題を抱えている。

前述したように面白い物語ではあるのは間違いないのだけど、あらゆる意味で現実との結びつきが強い作品だからこそそれで済ませていいのか悩むところ。

非常に評価が難しいので、初めてですが星はつけません。
映画史的に重要な作品ではないけども、現在進行系で起きている問題をリアルに考える上で、更には自分自身について考える上では非常に興味深い作品でした。
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