亘

わたしの叔父さんの亘のレビュー・感想・評価

わたしの叔父さん(2019年製作の映画)
3.9
【壊せない日常】
デンマークの農村。両親を亡くしたクリスティーネは、足の悪い叔父さんと2人で暮らしていた。朝早く起き牛に餌をやり世話をするルーティンを繰り返すような日常。しかしある時から日常に"外の空気"が入り始め変化が訪れる。

デンマークの農村で素朴に暮らすクリスティーネとその叔父さんの生活を描いた作品。淡々とした雰囲気、描くテーマ(主人公の立場は逆だけど)が小津安二郎らしさを感じる。作中では突然日本食の寿司も出てくるし、意識しているのかもしれない。

[日常]
デンマークの農村でクリスティーネとその叔父さんは酪農を営んで暮らしていた。毎朝早く起きて足の悪い叔父さんを起こす。その後はラジオニュースを聞きつつ、クリスティーネは数独をしながら、叔父さんはヌテラをパンに塗って朝食を食べる。その後は牛の世話をしたり畑仕事をしたり。そして毎週金曜日スーパーに買い物に行く。冒頭はそんなのどかながらもストイックな2人の生活が淡々と描かれる。

2人の生活は素朴でまるで前時代のよう。だけどもラジオから流れるニュースは、金正恩によるミサイル発射やトランプ大統領など。彼らには程遠いニュースだけど確かに彼らが現代に生きることを表しているのだ。

[外の空気]
そんな彼らの日常に"外の空気"が入り始める。まずは牛の出産や病気から、獣医のヨハネスがたびたび訪れる。そしてヨハネスとのやり取りからクリスティーネは、かつての獣医の夢を思い出し勉強を再開する。ただ叔父さんには隠れているようで、牛舎や自室でしか勉強をしない。きっと獣医になりたいことを知ったら叔父さんが悲しくなってしまうことを恐れているのかもしれない。

さらには青年マイクと出会う。そもそも若者の少ない農村部。マイクとの出会いは貴重で彼女はデートにも出かける。普段はしない化粧をしてヘアアイロンも初めて使う。ただ叔父さんを置いていくのは難しいからデートには同伴。このデートシーンは本作の中でもユーモラスなシーンの1つ。特にマイクの微妙な顔や映画での叔父さんの映画館での動作はシュールで笑える。

[決心]
叔父さんからしてみれば、いつも面倒を見てくれるクリスティーネはありがたいけれども、自分のせいでこの生活にとどまっているのはもったいない。だから「自分の人生を生きろ」と声をかけるしマッサージ師を呼んでリハビリをしたりもする。ヨハネスもクリスティーネを気遣いコペンハーゲンでの大学講義に呼ぶ。

そしてクリスティーネは物心ついてからは初めてのコペンハーゲンへと向かう。とはいえ常に叔父さんを気にかけて電話をしている。

[閉じた世界]
しかし彼女のコペンハーゲン滞在もすぐに終わってしまう。叔父さんが倒れて入院してしまうのだ。これを機にクリスティーネは獣医の夢をあきらめてヨハネスを避けてマイクまでも避けてしまう。自分が離れると叔父さんが生活できないだろうし牛たちも世話できない。マイクへの当てつけな態度は、やりすぎな気もするけど、不器用ゆえの態度の示し方だったのかもしれない。

本作の終わり方は唐突。ラジオが壊れて何気ない日常が続くシーンで終わる。ラジオは彼らにとってほぼ唯一の外界との窓口だった。きっとラジオの故障は外界との交流が断絶し、2人だけの閉じた世界になることを表しているのだろう。

小津安二郎の作品であれば、若い娘は結婚して家を出て、残された老いた父親は娘の幸せを願いつつ自らの孤独をかみしめる。だけど本作ではクリスティーネは叔父さんを気遣い残り続ける。彼女はなぜ変化を拒むのか。それは息子の後を追い自殺した父親に寄り添えなかった後悔なのかもしれない。ただこの生活も長くは続かないようにも思うしクリスティーネの将来が気になる。

印象に残ったシーン:クリスティーネが牛の世話をするシーン。叔父さんが髪を切るシーン。デートシーン。
亘