エジャ丼

ジャンゴ 繋がれざる者のエジャ丼のレビュー・感想・評価

ジャンゴ 繋がれざる者(2012年製作の映画)
5.0
「これがワイルドだ。」

南北戦争勃発の2年前、1858年。アメリカ南部の黒人奴隷ジャンゴは、ドイツ人歯科医であり、賞金稼ぎでもあるキング・シュルツという男によって自由の身となる。ジャンゴには奴隷市場で離れ離れになってしまったブルームヒルダという妻がいた。金を払い自由の身にしたことに対し責任感を持つシュルツは、ジャンゴの妻探しに協力する。

およそ160年前、今よりも何倍も、何十倍も、何百倍も酷い差別が行われていたアメリカという国の"史実"を基に、ユーモアに?それともシリアスに?その境界ギリギリを行ったり来たりすることで、かつてもしくは今現在もなお存在するであろう卑劣な差別の実態を皮肉に描いている。

この映画からも分かるように一部の白人は黒人を同じ人間として見なしていなかった。店に入ること、馬に乗ることが許されず、奴隷同士の格闘"マンディンゴ"の見世物にされる。逆らえば当然(理解し難い当然、だが)死が待つ。人権なんてものはありやしない。カルビンが言っていたことのように、白人によって『従事』という隷属性が頭の根幹に植え付けられてしまったのか?むしろ逆であり、白人のエゴや偏見、傲慢さによって白人の頭に『黒人は従事』という被隷属性が植え付けられてしまったのではないか。また、一言に『従事』と言っても様々である。この映画に登場した中でいえば、先述の通り体を張って従事する男たちもいれば、キャンディハウスに従事する女性たちや、スティーブンのように立派な豪邸で過ごし、上品な服を着て、主人であるカルビン・キャンディに忠誠を誓う者もいる。『従事』の中でも格差が存在する。だがいわゆる"勝ち組奴隷"の人間たちは、本当に彼らの意思でそう生きるよう決めたのだろうか?正しくは、そこで過ごすよう強制され、着させられ、誓わされたのではないか?そこで働く者たちが黒人しかいないことからもそれは明らかである。しかし彼らにとってそれは変えようのない、どうしようもない現実なのである。カルビン・キャンディのような、優雅で、上品で、知性的で、裕福な『差別主義者』である男に目をつけられてしまえば、自由とは無縁。同じ人間でありながら、「権力」というステータスで圧倒的に劣る環境で生まれてしまった人間は、その強大さを恐れ、その裏に身を潜める、逆らうことで自身に襲い掛かる「死」の存在を恐れるがままだった。

ジャンゴ・フリーマン="自由人"が現れるまでは。彼が奴隷制度に異を唱えるシュルツという男に出会ったことで、彼の『一生服従』という運命の歯車が狂い始めた。ジャンゴは、それまで愚行を行ってきた差別主義者に対し、怒りの弾を放つ。それはジャンゴ自身の分でも、ブルームヒルダの分でも、ダルタニアンの分でもあり、何より現実世界の黒人差別の歴史の犠牲になった人たちの分でもある。この映画は、クエンティン・タランティーノが代行した、歴史の犠牲者の復讐劇なのである。