矢吹

若さと馬鹿さの矢吹のレビュー・感想・評価

若さと馬鹿さ(2019年製作の映画)
3.7
これは世紀のカレー宣伝映画である。

彼らは確かに若くて、馬鹿だ。
彼らは裏切ることを知らぬかのように裏切るし
彼らは裏切られることに本気で怒る。
世間など知らぬ、身の程など知らぬ。
無知や自惚れやそんな言葉をそもそも知らない。
愛しちゃってると本気で言える。
性欲に身も任せる。
誰もが、自分の中で終われている。
思いは自己完結。
彼らは馬鹿だから、見る人たちからしたら、
もっと賢く生きられる人たちなんだけど、
当のご本人たちはそんなことはわかっちゃいないし
判る必要も全くない。
彼らの世界は固定の長め回しの距離が近いショットで断片的で、
冒頭からは、いざ見せられると、その空間の中に何があるのかわからないんだけど、
ショットを紡いで、その世界を理解すると
途端にめちゃくちゃ狭い部屋であったり
カラオケのワンルームであったりして
つらくて息苦しい中である。
まあ辛いってのは嘘だけど。
狭い世界がまた、見るものはワクワクするし、
彼らがそこで伸び伸びしてるのも事実。
フレームが広くなることは一見、選択肢が増えるかのように見えるけど、
狭い世界にいる方が不自由であること知らないという意味で、きっと何もよりも自由なんだ。
彼らの世界は最初に提示されたあのフレームであって、
広がった世界を知る我々は、
彼らにとっては姿を現さない隣の部屋の人にすぎない。
とるに足らない存在な訳である。
賢いってなんだろう、歳を重ねるってどういうことだろうか。
自分のフレームを広いものと勘違いしてるのはいつからだろうか。
居心地の良い大きさを決めつけて、それ以外を必死で切り捨てる姿勢を持つのはいつからだろうか。
ある程度狭い世界じゃないと
比喩的に、尻の毛なんて他人に剃らせることはできないでしょう。
他人を信じることは出来ないでしょう。
裏切りに対して本気で怒る事、裏切ることなどないと本気で思うことは出来ないでしょう。
だから、若さと馬鹿さをもって、
彼は彼女の毛を剃りに帰ってきたんじゃあないの。
結論としては、世の中の定説として、
イン毛ってのは、どこからともなく現れるもんなんだよ。
これが社会のルールです。それ以外は自由。
矢吹

矢吹