まりぃくりすてぃ

Share the Painのまりぃくりすてぃのレビュー・感想・評価

Share the Pain(2019年製作の映画)
4.4
終盤の約10分でイッキ化け。傑作。劇場でこれ観おわって拍手したくならないって人、いる?

カランコエのOB・OGは、邦画界の深部を既に方々で立派に支え始めてる人が多いイメージ(☜笠松将さん、堀春菜さん、手島実優さん。。別世界へ消えた古山憲正さんにも人間的には多少注目)だけど、カランコエの最強花の一人だった有佐さん(ゆさって読むのかとずっと思い違いしてた。ありさだってさ!)がついにヴェールを脱ぎなおしてプリマドンナとしての明度彩度のお披露目だ!!
なるほどね。魅せ上手のお甘え上手。しとカワ(しっとり)のずるカワ(ずるいふう)のきびカワ(厳しいとこも)で、女子ウケ<同世代男子ウケ<おじさんウケ、しそう。。
てことで、序盤~中盤は有佐(ゆさ。じゃなくて、えーと、ありさ)クォリティーが作品を支配。
共演男優は藤主税さん(とう・ちから。これはとても嫁ないぜッ!)。聞けば、多くの男優(AV男優たちもふくむ)に出演依頼を蹴られた果てに監督がようやく巡り合えたたった一人の、男の中の漢(おとこ)が彼だというッッ!
その藤さん(とうだよ、とう)の存在感が中盤まではビシッとは決まらないっぽくもあったのだが、ラストにかけての約10分(だか何分だか正確に計ってないけど、とにかく生徒会室での某激しいシーン!から)、彼の迫真・迫真・迫真の連なりが初めて「凄味」で場を満たしてくれた。ここへ来て、有佐(ありさ!)の映画から藤(とう!)の映画へと脱皮!(まるでシド・バレットからデヴィッド・ギルモアへ?)
──と思いきや!!
最ラストにかけて有佐(もう読みは覚えたね?)が想定外の炸裂!!! こ・れ・は・プ・ロ・グ・レ・ッ・シ・ヴ・な・終・わ・り・方・だ!!!!! ジェニックすぎて彼女は “狂気” さえ孕んでた?? 監督、スゴイ嵌め込み方したねぇ~。(☜嵌め込みに二つの意味あり。鑑賞者にはわかる。)
『カランコエの花』の最ラストもそうだったけど、有佐って人は、肝心局面の画にエモく嵌まる女優さんとみたぞ。

でも、中盤までは傑作とまでは思ってなかったよ。撮影のシリアスみ(アートみ)が、今っぽ台本(とコミカルでないこともない中庸的演出)由来の軽みと、調和してないみたいだったから。寓話性寄りの主題性はまあ尊いんだけどね。
初監督作品だからかな、「技も、心意気も、中身も、全部イイ」ものを創ろうと肩に力入ってる感じがすごいした。上手い人があえてちょっとだけ下手なふりもしてみる、っていう老成感がもしもあれば、逆に序盤から「凄味」が出てたかも。
本作の「凄味」は終盤にだけ集中してる。それすなわち、山の築き方が成功してると? そういうことでもいいな。 

中身については、現代日本人(“Me Too” をキーワードにして語り合える現代文明人)としては、可笑しみと脅威で一人一人(特にやっぱり男性かな)が想像力をグリングリン刺激されて問題提起の新鮮さにまずは頷けるよ、っていう程度の軽さと重さの同居が「楽しい」。
しかし、平気でファラオの割礼とか続けてる蛮族どもがいるのが今現在の地球だからね、地球規模で考えだすと、本作の突きつけるものには、笑えるわけない。
蛮族。そう、北アフリカや中近東の。べつにそこらへんの諸国民全員が野蛮!死ね!ですって私は云いたいわけじゃないけど、てめーらマジ冗談じゃねーよです。蛮族すぐすぐ死んじゃえです。地獄行って地獄で再死刑になれよです。ずっと前にワリス・ディリーさんの自伝を私は書店で読んで(☜立ち読みで全頁読了☜笑)アフリカのオス全員死ねぇぇぇっ!でしたから、私はこの映画を、日本の優しい紳士諸氏に見せたいよりも地球の全員にユニセフ協賛で見せてやりたい気持ちになったんだ。
男心と秋の空・女心と秋の空だのと云うけども、こと男女関係にかんしては、男の人って「優しさ+下心」で出来てるんでしょう? 女の人の二大成分は「拒絶+受容」だよ。
そして今の日本の男性は、「世の中これだけ女性優位に変わってきてんじゃん。これ以上権利ばっかり主張すんなよ。逆差別反対!」ってのが本音としてもしかしたらあるかも。でも、そういう人にわかってほしいのは、「男女間には、男性が気づきにくい不公平・不条理がまだまだある。けっこうある。永久にある」ってこと。それは社会のことと関係なかったりする。「共有できない肉体的痛みはたいてい女の側が引き受けなくちゃいけない」っていう生物的な宿命の部分。これは、ある程度は、直接男性自身が体験しなくても優しさや思いやりや想像力で理解できるのだと思うし、実際、今の日本で男性は本当に優しいと思う。
でも、リアルに痛みを知ることにも、たまには意味あると思える。

私のことをちょっと話すと、、 ずっと前、風邪とかで体調悪い夜にカレ(当時の)に求められたことがあった。その頃たまにしか逢えない状況ってのもあって、それに私けっこう拒否しない子ちゃんだったから、体調悪くてもその時そのまま受け入れた。マグロ子ちゃんになってた。
二か月後ぐらいに、そのカレとのデートで、一日遊んでからキレイな観光ホテルに泊まった。何か悪いものに中(あた)ったか、夜になってから (まだ抱き合う前に) 気分悪がりだした彼は、吐いたり熱が出たりしてとても苦しがった。救急車呼ぶべきか私は困ってしまった。濡れハンカチで必死に看病した。そしたらベッドの上の彼、静かな声で「……前に、マリの具合悪い時、乗っかったりして、ごめんね。あの時、つらかっただろうね」と謝ってくれた。「あー? あれ?」とすっかり忘れてた私だけど、なんか、嬉しかった。
翌昼までには驚異的に快復した彼とは、ムリはできないけどとっても仲があたたかくなって、晩には私んちで私の作った雑炊食べさせて幸せだった。(それとも豚汁だったっけかな? 忘れた。)

あ、脱線しちゃったけど、、、、この映画には、筆頭主題のほかに、男女の精神の違い(や学習・理解の可能性と必要性)みたいなのが自然に(半ば善良に)も人工的にもばらまかれていて、目も当てられないいろいろを経て、溜飲下がった。
そのリアリティーは第一に、主演男女の演技力の賜物。(セックスのことばっかり考えてほしくないけどね。性よりもまず愛だよ。愛。高校生頃っていったら、単にデートしてキスするだけで幸せが三週間持ちぐらいはするでしょうに。早熟な人もいっぱいいるだろうけど、少なくとも映画内の彼と彼女はやや奥手寄りに見えた。)
たぶん、本作の場合、75点程度のシナリオ(企画は満点であっても)を有佐さんと藤さんが演技者として100点に引き上げて、終わるまでにはシナリオのカンペキさが二人に追いついて(☜話のミスリードすばらしかったです)、そういう40分かけての界面活性(調和)をキャメラワークが落ち着きはらって支えてた、っていう秀才型の映画創りだったんでしょうね。
ハイ、拍手。


ここで、くどい長文に飽きた皆さまへ、完読祝いのクイズタイム。今から「ゆさ」って十回言ってください。

ゆさ。
ゆさ。
ゆさ。
ゆさ。
ゆさ。
ゆさ。
ゆさ。
ゆさ。
ゆさ。
ゆさ。

では、不思議の国と鏡の国は誰の本??


答え

















ルイス・キャロル