いの

戦争と女の顔のいののレビュー・感想・評価

戦争と女の顔(2019年製作の映画)
4.2
この映画のこと知るよりも前に、「戦争は女の顔をしていない」という言葉をコブラさんから教えていただき、その言葉は本のタイトルでもあることを教えていただきました。この映画の原案ともなっているその本を、わたしは数ヶ月前から手にとっていたものの、およそ1/5くらいのところで止まってしまいました。本は証言集で、多くの女性たちが実際体験したことを平易な言葉で語っていて、決して難解な本というわけではありません。それでも読み進められなくなったのは、自分でも理由なんてよくわからないけど、事実の重みに耐えられなかったのかな。わたしはこの本から逃げ出したってことだと思う。1/5程度までしか読んでいないので、ホントは本を語るに値しないことは重々承知しているんだけど、途中まで読んだ印象としては、戦争に従事した女性は、女性ではいられなかった、女の核心的な部分をある意味捨ててしまわなければ戦争を生き抜けなかった、女のなかに平素はしずかに眠っている男性性を剥き出しにして戦争に従事した、無意識的であれそうやって生きのびたのだ。わたしは現段階においては、原作のタイトルの意味をそのように解釈しています(仮)。(*それは単にわたしの思い込みであって、印象に過ぎません。ひとつひとつの証言をみていったらそうではない話がたくさんあるので)


今作の邦題は「戦争と女の顔」。邦題ダサダサ問題はフィルマでもよく語られる問題のひとつではありますが、この邦題は支持したいとわたしは思います。この映画は、「女の顔」で戦争に従事し生還した2人、イーヤとマーシャを主軸とする話だと思うから。「女」を捨てなかったために起きたのであろうこと。


映画は一貫して「緑」と「赤」を貫いていて、他の色に目移りしない監督の姿勢に、強い意志を感じます。緑と赤は2つでひとつ、命そのものを表しているのでしょう。静かな緑、激しい赤。でもこの映画の赤は、鮮やかとはほど遠い、茶が混じったような赤です。


始まりの場面がこの映画の在り方を宣言しているかのよう。戦場での脳しんとうがきっかけで、戦後も後遺症に突如襲われるイーヤ。軍人が収容されている病院で働いてる時にも、後遺症は不意にイーヤを襲ってくる。でも、周りで働く人たちはみな、そのイーヤの症状を当たり前のこととして受けとめている。そこで働く人も収容されている人たちも、戦争がどれほど酷いものかを知っているし、生還できたとしても後遺症がどれほど酷いものなのかを知っている、ということだから。この病院ではイーヤを特異な目でみる者はいない。ある意味同志的な。なんとか生還できたとしても、死はずっと近くにある。そのことを誰も止めらることはできない。


生活の場面を丁寧に描いているのも特徴的で、入浴場面とか、慎ましい生活の様子も心に残ります。子が犬のモノマネをしなかったことについて思い当たったのは、観終わってしばらく時間が経ってからのこと。


従軍した女性は、帰還後に英雄視されることはなく、むしろ侮蔑的な見方をされたりするのも、彼女たちがなかなか証言できなかった一因なのだろうと、推測しました。いつもは“赤”を纏っていたマーシャが、緑のドレスを着て出掛けた食事の際に語った内容は圧巻で、あれにはウソやハッタリも、もしかしたら入ってたかもしれないけれども、従軍した人にしかわからない気持ちがギューっと入ってました。


原題の「Dylda」はノッポという意味のロシア語だそうで、女性2人のうちの“緑”を纏うイーヤのことです。イーヤの朴訥とした感じや、でも時折みせる激しい感情が心に残ります。マーシャについてはまだ未消化状態です。シスターフッド的展開にしたことで、話が少し小さくなってしまったのではないかとも思うのですが、戦後間もない時期、戦場を共にしたイーヤとマーシャは2人の心の内でしかわけあうことができないことばかりだったはずで、だからやっぱりこうなるのだろうと。


この映画のその後をわたしは妄想します。十数年経ったところで、イーヤとマーシャの元に若い女性が尋ねてきたらいい(その時ふたりとも生きていてほしい)。若い女性は、証言を集めているのかもしれないし、これから映画を撮ろうと思っているのかもしれない。十数年経ったとき、ふたりが心の内をその若い女性に語れたらいい。戦場で実際目にしたことや経験したこと、重い口を開けたらいい。聴いてくれる人がいることで、分け合えることができたらいい。そんな場面を夢想しています。





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真面目な映画でこんなこと書いたらお叱りを受けるかもですが、メモしておきたいのでごめんなさい。2~3歳のキッズのアレにボカシを入れてたのには驚きました。




〈追記〉2023年1月

原作、読了。
毎日少しずつ読み進めた。後半がとくにすごくて、もう完膚なきまでにやられた。訳者あとがきや、さらにあとがきなどを読んで、女たちの証言を集めることがいかに大変だったか、さらにこれを本にするのがいかに大変だったか、ほんの少しだったとしても想像できるようになる。声なき声に耳をかたむけ、権力に抗して本にすることもまた、意思ある女たちの戦いだったのだと思う。
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