戦争と女の顔の作品情報・感想・評価

「戦争と女の顔」に投稿された感想・評価

えにし

えにしの感想・評価

4.3
遣る瀬ない、寄る辺ない、心がほどける当てがない。観ているあいだそんな心地になりながら、同時に、ああこれはちょうど人生の辛苦と同じだ、と思い至った。見返りを求めずに築く関係を正の関係とするなら、必要とされたり、頼られたりする関係は負のそれであるのだろうが、わたしたちをより強く結びつけるものは、後者である気がしてならない。きっと人は自由の刑に処せられるより、負い目や引け目、義務を課せられているほうが、ある種楽なんだ。戦争がもたらした見えない消えない傷が、ふたりの女を雁字搦めにする。緑色の血に塗れながら、赤い新芽を守っていくほかない者たちの、ブルースのような映画だった。
yoshiko

yoshikoの感想・評価

4.2
主役の女性2人は独ソ戦の戦友だけれど、戦闘シーンは出てこない。観客は想像するしかない。のっぽのイーヤのおどおどした振る舞いと、戦友のマーシャのいたずらっぽくも見える笑みを浮かべた自信に満ちた振る舞いは対象的。戦争が2人に残した深い傷を背景に、映画は2人の権力関係を描きだすことに注力する。2人の関係は「子ども」を中心に展開する、「子ども」は、物語の錘のような存在だ。「子ども」は「女」という性に直結している。男同士の戦友の場合は、おそらくは「従軍慰安婦」や戦場でのレイプなどの「モノ化」を通じた真逆の紐帯なのかもしれない。いずれにしても、そのきずなは歪んでいる。歪んでいるが、彼女たちはそこにすがらざるをえない。

邦題について。アレクシェーヴィチの原作を思い浮かべやすいという意味ではわかりやすいけれど、原題の『のっぽ』を活かした方がよかったと思う。あと、共同浴場のシーンが結構長くて、ストーリー上の意味がないわけではないけれど、監督が男性だからかと思ってしまった私はうがちすぎ?
ウクライナ生まれの作家、スヴェトラーナ•アレクシェーヴィチの名著「戦争は女の顔をしていない」に着想を得た本作は、派手な戦闘シーンは登場しない、静かな反戦作品。

本作バックグラウンドの、100万人が犠牲になり、多くが飢え、人肉食もあったと言われる熾烈を極める戦いだった「レーニングラード(現在のサンクトペテルブルク)の戦い」は、独ソ双方、みんなが、異常だったに違いない。

戦争が無ければ、イーヤもマーシャもああなることはなかった。マーシャは生き残るために、悲しい選択をし、戦場で受けた後遺症のために、戦友マーシャの子を殺してしまったイーヤ。でも、誰にも責められない。

彼女たちを取り巻くいろいろな人物の中で、僅かながら良い人もいることが、何より救い。

みんなが飢え、五体満足ではいられず、非業の最期を遂げる様な状況の一方で、戦争に行かずに済んだブルジョアがいた、ということも、何とも複雑な感じを抱く。

えっ?というドキドキ感のあるシーンから続くエンディングは、イーヤとマーシャの将来に、一筋だが、光明がさすものだったと思う。

何であれ、戦争反対。ロシアのウクライナ🇺🇦侵攻も早期終結を願うばかり。この時期に観るべき作品。
村人

村人の感想・評価

3.8
戦争が残した悲劇を女性というフィルターを通して観せてもらった感覚。苦しかった

このレビューはネタバレを含みます

「戦争と女の顔」、今週か来週までにもう一回見よう!そんな映画だ。

その前に「戦争は女の顔をしていない」を読んでおこう。

時々、この人以外あり得ないじゃないかと思う時がある。それが、イーヤとマーシャだ。声、視線、体格差。苦しく溺れそうだなりながらも、目が離せなかった。

緑色が似合うイーヤ、マーシャの赤い血、壁の緑、緑色のワンピースの裾、赤いセーター。マーシャの笑顔の奥や、うつむくイーヤ。

イーヤがポツリとこぼした言葉に、マーシャが咄嗟にとった行動を見て、その言葉はマーシャの中にもずっとあったものなのかなと思った。

サーシャ、若い頃のいしだ壱成感があった。「軍の女は、食い物渡せばヤラせてくれる」からの、毎回食べ物を持ってくる彼。

彼の母親の言葉を聞いた時、こんなに息子のことを分かっている親がいるんだなぁって。まさかあの言葉が出てくるとは思わなかった。

あと、「戦争と女の顔」は、あのポスターで良かったと心から思った。このシーンは忘れられない。そんなことない!って思わず言ってあげたくなったくらい。
冒頭、超クロースアップの女性の顔がスクリーンいっぱいに広がる。その顔は不自然に硬直していて、か細い呻き声と耳鳴りのような音がはっきり聞こえるのに対し、周囲の物音や人々の声はくぐもっている。カメラが徐々に後ろへ下がっていくにつれ、「のっぽ」と呼びかけられたこの背の高い女性、イーヤ(ヴィクトリア・ミロシニチェンコ)が、職場である病院の一角で直立不動のまま「いつもの発作」を起こしていることがわかる。彼女はやがて不意に金縛りから抜け出すと、何事もなかったかのように仕事に戻っていく。今や聞こえてくるのは「正常」でクリアな物語世界の音声だけである。とすると、先ほどまでは金縛りの最中の彼女の聴覚がとらえていた音の世界を観客も耳にしていたようだ。
 イーヤは映画の中で繰り返しこの「発作」に襲われることになる。彼女は戦地から帰還して間もないソ連軍の元兵士であり、金縛りの症状がそのときの後遺症であることが示唆されている。だが発作の度に、観客は自らが奇妙な位置にいることに気づく。 イーヤの聴覚を共有しながらも、同時に硬直した彼女の姿を外側から周囲の人々とともに見ているのだ。むろん、イーヤだけの特殊な金縛りの感覚を全的に再現=表象することなどはじめから望むべくもないことは事実である。動けない彼女の両目は開いているが、外界の対象を認識しているのかわからないし、そもそもあの耳鳴りや不完全な聴覚が彼女自身のものである保証もない。観客は彼女の発作について一種の約束事のような(そして実に簡素な)「しるし」を読み取り、了解しているだけである。(作花素至)

全文はこちら↓
https://www.nobodymag.com/journal/archives/2022/0818_0001.php
Hy

Hyの感想・評価

3.5
胸に迫るシーンも多々有りましたが、私に読解力が足りなかったと思います。
どこまで理解出来たのかは自信ありませんが、色調と衣装、表情がとても絵画的だったのが印象的。
suq

suqの感想・評価

3.5
アレクサンドル・ソクーロフのワークショップに参加していたという監督、静的なショットの美しさが印象的だった。
緑と赤という色を使いながら明確に描かれる2人の女性の関係性を中心に、観る者に判断を委ねる“曖昧”なエピソード群が束ねられている。

発作時の喉が詰まる音、唾を飲み込む音など、本来なら外に聞こえないはずの音が響くことによって、“からっぽの身体”のなかに発話されない言葉が詰まっていることを感じさせる。これは、劇中で戦争が直接的に描写されないことにも通じているんだろうと思う。描かれていなくとも、それはそこにある。

原案となったスヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチ『戦争は女の顔をしていない』と併せて、時間をかけて受け止めたい作品。
猫

猫の感想・評価

3.9
もしも戦争が無かったら
彼女たち、彼らは
どんな生き方をしていたのだろうか‥?
そう思わずにはいられなかった。
静かに流れる話のなかで
何度も胸が痛んだ。
治らない患者
意図せず奪ってしまった命
助けられない無念さ。
女は兵士になりながらも
他の立場も強要される。

少し深読みしなければ
分かりにくい映画だと思いますが
この手の映画は好きです。

為政者達よ
普通の人々の想いを
知っておくれ、普通の人々の為に
政治をしておくれ。

声を大にして言いたい。
あまりにも頭かぶりが酷かった。高身長でその座高から頭わざわざ背もたれから出す意味も首を振りまくる意味もわからん。お陰で集中も何もなかった。

これが前提として、それでも十分に見応えは感じた。ゆえに、「見えていた」と仮定した予想のスコア。
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