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愛の果実
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『愛の果実』に投稿された感想・評価

✔『愛の果実』(4.4p)及び『ズヴェニゴーラ』(4.0p)▶️▶️

 川崎市民ミュージアムが出来て暫く所蔵されていて、ビデオかなんかの為か、やっと川崎迄行く用事で、視聴リクエストをしたらもう無い·廃棄したと言われたのが、本作だったか。どんなに落ち込んだことか。
 1977年は、先日触れたばかりの·青年ドイツフィルム(’80年前後からニュー・ジャーマン・シネマが一般化)御三家、ソ連(無声からの)3大巨匠、昭和10年代の日本映画、の催しが大きかった。それぞれ、ファスビンダー、ドヴジェンコ、清水と田坂に巡り会えた。ドヴジェンコは、ルノワール·フォードと並ぶ1894年生まれ組(ヴィダーも3人に劣らないか。後·劣らず偉大なスタンバーグもこの年らしい)で、23年前、映画史上10大作家を仲間内で選んだ時、個人的にこの三人は外せなかった。
 やっと観れた本作。上手いとか、斬新だとか、厳密だとか、感動の内容とか、一般的な褒め言葉のどれにも値しない。映画的な視点·手法は網羅されていて、感心とも言いたいが、際立って効果的使用とか、正確·高度な筆跡と言うわけでもない。細かな前後不一致·不適確は、数限りなく、普通に出てきて、取り繕いもしない。まぁ、いわば下手くそ。しかし、処女作だからか、開けっぴろげの、人間への応援賛歌·限界諦観が、整理なく詰まっている。
 トゥショット·フル正面、寄り入れ、その対応(矢継ぎ早)、角度変(の半ばわけ分からない連続)、(1人の)画面オフへ、(斜め❳切返し、(延々めやいきり立ちめ)パンや移動のフォロー、(指示言葉通·執拗な)スローからコマ落とし·切替、2つの直接は無関係の場·並行、ラストらの回想断片高速強烈モンタージュ。主人公らのメイク濃さ以上の感情剥き出し表情、主人公も·彼に厄介物一時的渡されんとする者も·歳も考えぬ必死さと咄嗟行動、堅い呼び出し役所らの担当者の権威よりも人のいい老人性、対象が一組の筈が二組に·より必死に対処·機転が巡り巡ってあるべき元の者に戻される、全体を括り進める女の大芝居と全てに上わ手、全体にも社会体制や権威に胡座をかくキャラはなし·しかしアメリカ映画の無機質ドライでもない。大してうまいわけでもないのに、半端な·しかし当該人物にとっては必死懸命な、尻尾残しが尾を引き絡まり戻すを産んでく。ドライ過ぎはしないが、情感に嵌まる訳でもなく、エンドレスの限りないが·手応えもしつらえられた人生設計が見えてくる。
 恋人に、いきなり2人の間の間の赤ん坊を示されたあげく、トンズラされ託され·困った男が、他人の乳母車へこっそり放り込み·(老)夫婦気づかぬ寄添う隙間に置く·人形店で赤ん坊入りの箱を棚に入れる、等の捨て去るチャレンジを続けるが、ステッキに乳母車引っ掛け連れ来て赤ん坊2倍·渡した筈の相手との猛烈バトル·赤ん坊入り2箱の内一箱は人形店店主に上手く戻され·もう一箱も人形店への後の客が持って自分の理髪店に来る、等で失敗。上手く片したかなと思ってると、恋人が赤ん坊の件で役所に訴え出てて、出頭命令。今度は、色んな危険から赤ん坊を護り、送り届けるに事態が逆転す。やっと着くと恋人が待ってて、そのまま、結婚手続き、新婚生活の流れへ。安定もいいなと思ってると、赤ん坊は彼女の叔母さんの子、否応ない婚姻作戦に嵌められてたと分かり、茫然。
 手法や話立て·キャラが、特に目立ってるわけではない、ありきたりの構造·発案。しかし、その通俗性の中からこそ、己れのはみ出し·壊れかねない作品理解と天才発現が試される、重々承知の偉業? 因みに1894年生まれトリオだが、この年、1人は既に何十作を物し、普遍作風と高技術確立、もう一人は2作目にして映画を超えた堅固傑作を発表している。先行するソ連2巨匠は、生涯の著名作で、世界を震撼させ、栄誉の絶頂の年で、ドヴジェンコがそれに肩を並べるには数年を要す。ドイツ(出)のラング·ムルナウ·ルビッチが陰りない名声の頂点にあった頃か。こんなありきたりの非長編映画だが、同じこの年監督デビューのホークスと並び新人にして、内実は偉大な領域に達してる。ホークスのようなセンスと一貫性よりは、人間の中身·強さと弱さの表裏一体に傾いてるが。
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 ドヴジェンコが真にその偉大な才能を認知されたのは、(難解というか自由気儘な叙述が理解多難で、エイゼンシュテインの後押しもあり、)『ズヴェニゴーラ』からだが、ドヴジェンコ入門でよく用いられ、今回も併映された(『愛~』に関心集中で割と軽く流して、余計前回等で観た時より訳はわからなかったが)。結局は赤軍ボリシェヴィキの、頽廃都市文化遊興らに対する優位·乗越え辺で締めくくられてくが、その奥に神話·自然·自発の巨大で恒に細かく息づく、ウクライナの歴史と神秘が、控えて主体となり続けてる。忙しさを排除して、映画が神話と直結し·溶け合うテクニックが放逸しつつ満ちているが、軽い·チャラい印象はない。延々(馬列の)スローカット連ね、巨大な(悪魔の)顔の空にO·L、出鱈目な(狙い定めぬ射撃の)アクション·リアクションのマッチ、中間字幕による巨大な歴史·生命·因縁の流れの啓示、河(面と流れる花輪)と乙女(ら)の係わりの即物的自然·生命美、長く微妙なニュアンスのOLでの(そもそもの謂れと、現代に通ず処女性の)神話世界の具現、(表情反応驚き様々の顔連ねや、近代化構築破壊の)細かく激しく連ねまくるモンタージュ、夜の空間での都市(の自殺ゲーム観劇頽廃)と(列車や進軍な)と革命勃興対比ダイナミズムら、(様々内外動力への)フォロー縦移動の力と速度、自然と神秘の全体と部分·執着の心と物を押さえる角度(対応)とサイズ。
 ウクライナ·ズヴェニゴーラに隠された秘宝·財産、それの遅れ明かされるオクサーヌらの伝説·神話、それの千年の番人を任された老人の歪んでく心、嘗てのポーランド支配や·現代のドイツ軍進出と根っからのパルチザンらの秘宝掘出し軋轢、それらを監視の巨大な悪魔の内的脅威、現代の番人老人と息子らの旧弊と未来へ向くのと分裂、世代や男女諍い絡め·この地を離れ·都市ブルジョワ文化末期とボリシェヴィキ活力化に発展。
 ロシア·ボリシェヴィキの暗躍·悪行はずっと続いてたのだろうが、ソヴィエト政権下の公式賛美とは違う不気味さ·怖さで捉えられてる。
短編サイレント。
赤ちゃんを任された男が面倒くさくなり、他人の乳母車に赤ちゃんを投入したり、老人をフルボッコにしてなすりつけたりするも、何故か自分の下に戻ってくる育児放棄コメディ。
不謹慎、不道徳の極みだが死ぬほど面白い。


『ズヴェニゴーラ』同様、荒唐無稽を通り越してもはや前衛なのがサイレント時代のドヴジェンコの特徴。瞬間移動など当たり前である。馬車が遅い を表現するのにスローモーションを使うなど、ほんと自由過ぎる!素晴らしい!大好き!
初ドヴジェンコ。赤ちゃんをいかに他人に押し付けて育児放棄するか。スラップスティック、コメディではあるが、己の笑いどころで倫理観が試される。赤ちゃんを手にした人間が考えることが一律「他人に押し付けなきゃ!」なのが終わりまくっててもはや清々しい。こんなのはアメリカ映画で見たことない。猛毒的な楽天性というか。乳母車と階段の組み合わせ…落ちはしないが。