喜連川風連

涼宮ハルヒの消失の喜連川風連のレビュー・感想・評価

涼宮ハルヒの消失(2010年製作の映画)
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空間・時間を描くことに成功した映画。

アニメ版ではわからなかった、教室と部室の位置関係が階段などを利用して精細に表現されている。

新海誠作品が写実性によって真実味を持たせる映画だとすれば、この映画は時間によってそれを可能にしている。

モブキャラも勢いよく動いている。さすが映画版、作画の枚数が全然違う。

ボケの涼宮とツッコミのキョン。どちらが欠いても成立しない。例えるなら与党の涼宮と野党のキョン。

キョンの受け身な心情は、映像作品を受容し、脳内でツッコむ視聴者と同じだ。

こうしたドタバタを陰で支えていたのが長門有希。

監督(涼宮)と視聴者(キョン)の間で板挟みになるアニメーターを代弁したのが長門有希だったのかもしれない。

だが、視聴者の関心がアニメーターに向くことは稀だ。

キョンは、涼宮の喪失を埋めるべく主体的にあがく。

当たり前のように提供されていたサービスが無くなり、視聴者が欲しい!涼宮を出してくれ!と心の底から思うように演出されいてる。

対して、長門の想いが実ることはない。最後、雨は雪に変わる。想い出される山下達郎。

「雨は夜更け過ぎに、雪へと変わるだろう。きっと君は来ない。1人きりのクリスマスイブ」

「雪」とキョンがつぶやくセリフを「友希」と名前で呼んだと長門が勘違いするシーンが白眉。

こうして、メタフィクションモノとしてハルヒは伝説になった。

追伸、なべさん鑑賞して良かったです!
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