まりぃくりすてぃ

花束みたいな恋をしたのまりぃくりすてぃのレビュー・感想・評価

花束みたいな恋をした(2021年製作の映画)
3.3
調布の映画館で前情報なく観たら、調布がいっぱい出てくる映画だったので、その点は親近感がアガった。私の川である野川と、ちょっとだけ私の川である多摩川が、スクリーン内に幾度もさりげない宝石のように出てきた。私以外にとってはべつに宝石ではないだろう。
私の人生初の本気の相手との初デート先が、調布だった。あのよく晴れた秋の休日、私はあまりにも幸せで、野川に沿って彼の少し後ろや隣を進みながら「いつか永遠に離れ離れになったとしても、今日のこの景色と幸せを今からずっとずっと覚えていよう…」と悲しみに何だか似てる幸せをひそかに噛み締めて噛み締めて、本当に内側からポカポカポカポカしてた。彼のために3時間ぐらいかけて作ったお弁当。何を喋ったんだっけ。帰りは多摩川沿い。まだキスせず、手も握らない二人だった。。。
人は、想い出を作るために生きるわけじゃない。より良くなろうとして生きた結果が、想い出になる。想い出(と生傷)は、息をしつづける。過去(と古傷)は、息をしない。想い出だけはずっとずっと生きている。ふだん引っ込んでいたりするけれど。あの時の若い私は、何を作るために川辺を延々と歩いたのだろうか。未来もまたしっかり息をしてくれているといいな。。

未入籍の相手との同棲は、私にはありえない選択。なぜ同棲? 理解できない。それは未来ではなく想い出ばかりをより太く積み上げるために生きるようなものだと思うし、「綺麗だよ」って世界一言ってほしい相手に毎朝毎朝の寝起きのすっぴんをわざわざ見せるなんて、部屋干しの下着を見られるなんて、あぐらばっかりかいてるジャージ姿で寄り添うなんて、ティッシュを足指でつまんでゴミ箱に蹴り入れる得意技で感心されるなんて、オナラを聞かれちゃう隙をいつもいつも差し出すなんて、、信じられない。恋してる人の選択とは私には思えない。お泊まりデートで充分だ。だから、同棲とその終焉を描く映画は、私には(たぶん今現在も)単なるファンタジーです。
これは丁寧なファンタジー。