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バビロンのlotusのレビュー・感想・評価

バビロン(2021年製作の映画)
1.5
舞台の始まりはハリウッド黎明期。乾燥した地にほとんど山師のような連中が集まってできたハリウッドがどんちゃん騒ぎで幕を開ける。

禿山の上にぽつんと立つ、家にしては大きく、城にしては小さいような建物の中でサーカス的喧騒が繰り広げられる。強迫的なリズムのジャズに合わせてほとんど裸の男女が踊り狂う。
このシーンは「豪華絢爛」としてプロモートされているようだが、豪華絢爛というならば、同じ時代にギャツビーが開いたパーティーのほうが相応しいのではないだろうか。

この映画、俳優陣が豪華で、サイレント時代の大スター、ジャックをブラッド•ピットが演じ、自分がスターであると信じる女優志望のネリーをマーゴット•ロビーが演じる。
ストーリーの大筋は、彼らがサイレント映画で大ヒットを飛ばしたのも束の間、トーキーへの移行についていけず、時代の荒波に飲み込まれてしまうまで。

デイミアン•チャゼルの映画を見るたびに、躁病的な音楽に乗せて(ラ•ラ•ランドはそこまででもなかったが)、つぎはぎのようなものを見せられている、と思っていたけれど、今回がその際たるものという気がした。

冒頭のシーンでは無法状態のハリウッドを描くため、糞尿、精液(に擬したもの)が出てくるし、別の場面では高価な絨毯の上にマーライオン並みに盛大に吐瀉物がぶちまけられたりするが、糞尿は糞尿、吐瀉物は吐瀉物でしかないので、まぁ、強いて見たくはないが、それそのものなので構わない。

それよりも問題だと(個人的に)思ったのが、映画終盤、主人公のマニーが一度はハリウッドを追われて、中年になってから再び戻り映画を見ているシーン。その途中で、過去の名作映画のカットをランダムに繋げて高速で流すシーンがあるのだが、糞尿が飛び散るような勢いで名作シーンの数々を流されて、勘弁してくれ、と思った。

そして、ハリウッドでの日々、映画作製の日々を回想し、涙を流してうっとりとスクリーンを見つめるマニーにも勘弁してくれ、と思った。

ラ•ラ•ランドの時にも思ったけれど、どうしてもこの監督の他の映画作品の流用の仕方が好きになれない。
映画好きのアマチュアが、お金をかけて自分の好きな映画を繋ぎ合わせたり、その手法をそのまま流用して公開しているようにしか見えないからだ。(何がしたいのかわからない。自分が好きな映画と同じことをしたいだけにしか見えない。)

この監督が映画というものを溺愛していることはよくわかるのだが、大量に摂取された映画が消化されないまま、一気に吐き出されている(もっと言うなら、射精されている)ようにしか見えない。

俳優たちは良い演技をしており、良いシーンもあるのだが、(例えば、ジャックがこっそり自分のトーキー映画を見に行って、観客のバカ笑いに傷つき、帽子を深く被って去るシーンや、ネリーが暗闇に消えていくシーン)それは部分でしかない。

監督本人がよいと思ったものをつなぎ合わせているだけのものを、個人的には映画と呼びたくない。

なお、主人公のマニーを演じるディエゴ•カルバは本人の演技が悪いわけでは決してないのだが、演じるキャラクターがこの映画において空洞のようになっていて、それはこのキャラクターがおそらく監督本人のアルター•エゴになっているからなのだが、今ひとつ魅力がないというか、存在感が薄かった。最後の「やっぱり映画ってサイコーだね」という雑なシーンでそれが一層極まっていた。

ラ•ラ•ランドの時は映画好きが高じてこうなってしまった(オマージュというにはそのまますぎる)のかな、と思うことができたけれど、バビロンに至っては、この人、本当に映画が好きなんだろうか、と思ってしまった。(好きでないと、あんなに大量の映画を引用したりできないはずなのだが、それにしても引用の仕方が雑。)
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