幽斎

プロミシング・ヤング・ウーマンの幽斎のレビュー・感想・評価

5.0
2020年オスカーでレビュー済「ユダ&ブラック・メシア裏切りの代償」「サウンド・オブ・メタル~聞こえるということ」抑えてEmerald Fennell監督がアカデミー脚本賞を受賞。他にも作品賞、監督賞、Carey Mulliganの主演女優賞、レビュー済「ライリー・ノース復讐の女神」Frederic Thoravalの編集賞もノミネート、間違いなく2020年を代表する作品。TOHOシネマズ二条で鑑賞。

原題「Promising Young Woman」プロミシングは「前途有望」と言う意味だが、本来は「full of hope」将来が明るいを今風に語る時に使う。現在進行形のフレーズが実は違うモノと言う皮肉を込めて付けられた。スリラーがオスカー脚本賞と言う、ミステリー派の私としては望外の快挙と言えるが、其処には女性監督らしい鋭い眼差し、絶望的な怒りや悲しみを描いた「痛み」のストーリーに結実する。

本名Emerald Lilly Fennell、ロンドン生まれの36歳だが彼女の半生でセミドキュメンタリーが作れる経歴が有る。初めは女優としてスタート、有名な作品では「リリーのすべて」エルサ役。本作でもチラッと出演してる。並行して脚本家としてもデビュー。成人向けホラー「Monsters」出版。それがレビュー済「007 ノー・タイム・トゥ・ダイ」脚本に参加したPhoebe Waller-Bridgeの目に留まり、BBCの人気スパイスリラー「キリング・イヴ」を手掛け、エミー賞ノミネート。監督は撮影時は妊娠中、アカデミー授賞式のマタニティ・ドレスも印象的だが、無事に出産された。

長年温めた本作の制作に取り掛かるが、長編映画で実績も無く監督デビューとも為れば、スポンサーが集まらない。スクリプトをハリウッドの長編映画待機リストに挙げると、意外な有名人から電話が鳴る。Margot Robbie、レビュー済「スキャンダル」でアメリカ史上最悪のセクハラ親爺と対決(笑)。彼女が脚本に共感してプロデューサーを買って出る。「アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル」一世を風靡した彼女が付いた事で、独立系FilmNationで製作が決まり、監督と同い年Carey Mulliganも製作総指揮に名を連ね、女性3人の固い絆が見事に結実した。

2016年に性的暴行で有罪判決を受けたスタンフォード大学の事件が元ネタと言われるが、私がアメリカへ留学に行ってた時も、14歳の少女が酒に酔わされて意識を失った後、高校のフットボール選手にレイプされた事件は今でもハッキリ覚えてる。なぜ鮮明に覚えてるかと言えば、容疑者が無罪判決を受けたから。アメリカでは、性的暴行事件が2分に1回。本作はレイプ・カルチャーの本質を女性目線で鮮やかに切り込む。

「RAPE CULTURE」日本では聞き慣れないフレーズだが、アメリカ人の解釈では性的暴力は普通に有ると考えられ、レイプしないよう教えるのではなく、レイプ「されない」ように教える文化。フェミニストが使った用語だが、最近は「レイプ・サバイバー」被害に遭った女性(今なら男性も含む)が、SNSに投稿する事で可視化され、レイプ文化を真剣に議論する風潮に一石を投じてる。問題なのは異常者やサイコパスでも無い、極く普通の男性が加害者、と言う事実。

「同意された訳でも拒否された訳でもなく」和姦との線引きを法律に求めるのは難しい。加害者の父親は裁判で「息子はたった20分の行為で大学を辞め人生を棒に振った。もう十分だろ!」と。私もアラサーに成ったが、今のアメリカで「Proactive」(ニキビじゃない(笑)、率先を明確にすべきと、やっと議論が進んだ感が有る。「No」ではなく「Yes」のみが同意を意味すると解釈も変化した。

女性学部長の台詞が全てを物語る「社会にとって前途有望な若い男性を守る義務が私にはある」自分のキャリアに瑕を付けたくない思惑、ヒエラルキーは男性上位で女性に前途は存在しない。最大の問題はバッシングを受けるのは被害者である矛盾。日本でも虐めを受けた方が自殺しても、加害者では無く被害者に非難が集まる風潮が有る。本作も加害者の男性よりも、どう女性が悪かったかに議論が摩り替る。加害男性は勿論、それを見ていた周りの友人、日和見主義の大人達も事件後に何も罰を受けず、平然と暮らしてる。不公平が平然と法治国家で罷り通る事に、釈然としない思いが募る。

秀逸なのはプロテクターの加害者を、爽やかで好感度が高く見える俳優を意図的にチョイス。イメージの段差を利用して、善人と呼ばれる人達の化けの皮を剥がす。善人を日頃から演じる点にフォーカスする事で、社会派としての一面も無視できない。主演のキャラクターを活かす事で、ロマンチックなコメディにも、ダークなスリラーにも見える。女性の内面とは常に浮き沈みの激しい波の様な一面が有る事を思い知る。

Mulliganはファム・ファタールでは無い。ハニー・トラップを仕掛けるでも無い。今もアメリカで行われてる、酔い潰れてるだけでレイプのターゲットと見做される現実を浮き彫りにする。「ミニスカートを履いてるのは男を誘う為だ」とか「男が屯するバーで無防備な女の方が悪い」と言う風潮。女性の意思が無ければ、男の家に連れて行くだけで「誘拐」と言う立派な犯罪だが、世間では「お持ち帰り」。女性の敵は男性では無く、社会全般なのだと監督は憤りを隠さない。

アメリカで絶賛されてるが、その一方で「Carey Mulliganが30歳に見えない」と、見当違いも甚だしい映画評論家(男性)が、全米ネットワークで発言した事から異論噴出。Mulliganは36歳だが、プロデューサーに回ったMargot Robbieが演じたら、どう成っただろう?。彼女の出世作「スキャンダル」同様に、男性の「性」のスペンディングとして消費されて終わり。監督は意図的に相応に見えない彼女を抜擢する事で、逆に男性がエロ目線で見る事を回避した。本作は重層的に俯瞰して見る必要が有るのだ。

スリラー的に考察すると首を傾げる点が無いでもない。MeTooを避けて通れないのは女性は絶対的な「正義」。常に悪いのは男達と言うのは誰かの口癖を借りれば「それって女性側の意見ですよね」に為る(笑)。一方的な断罪スタイルは、逆差別とも言い変えれる。その論法で言えば私の大嫌いなジャンル「レイプ・リベンジ映画」見てる人も全員変態。まぁ、当たらずと雖も遠からず(笑)。リベンジの主人公は必ず白人女性。黒人なら社会の警戒心も違うだろうし、黒人女性と言うだけで逮捕され兼ねない。

フェミニズムの構図で崩し様の無い論点「Amatonormativity」。幽斎のレビューは英語が多いなと、辟易してらっしゃる方も居るかもしれませんが、だってアメリカ映画だから仕方ないじゃん(笑)。これは「アマトノーマティヴィティ」と言います。正確な日本語は分りませんが、結婚する伴侶に対するルール。具体的には「特別な人と恋愛をして、結婚して、ずっとその人だけを大切にする事が人生の幸せ」別に悪い意見では有りませんが、問題は違うレールに居る人を「負け組」と批判する事。本作も基本的にこの考え方で創られてる。多様性を求めても、全ての女性をカヴァーするのは難しいと痛感した。

【ネタバレ】御自身のレビューに自信の有る方は、自己責任でご覧下さい【閲覧注意!】

Cassandraと言う名前自体が既にネタバレでずが、由来はギリシア神話に登場するトロイの王女の名前。キリスト教では不吉の前兆的と解釈するが、医学的には「カサンドラ症候群」アスペルガーを発症するパートナーとメンタル的な関係が築けない症状を意味する。原因は自閉症スペクトラム障害が多いが、カサンドラはギリシア神話の通り、残酷な結末を迎える。

カサンドラの両親が映画を見てるシーン。流石にアレだけでは分らず帰りに劇場の有る京都BiVi二条のカプリチョーザで、パスタを食べながら調べたらノワール映画の古典でRobert Mitchum主演「狩人の夜」と判明。勿論見た事無いので後日、クラッシックに詳しい友人聞いたら、確かにストーリーラインは本作と被る点が多い。ナルホド、冒頭のカサンドラの朝帰りのシーンは、そう言う意味だったのかと。

秀逸なのは犯行現場を一切見せない事。「あの女はヤバい奴らしい」程度の流布に留まり、現行犯逮捕されるような罪は犯して無い、様に見える。だが、人に依っては犯行現場が「見える」人も居るだろう。見える人には見えると言うのは自身が抱えるトラウマとか疚しい想像が反射的に映る。ミステリー小説に出てくるアプローチですが、「脳内」で恐怖の想像が見える演出は、類を見ないファンタジスタと言える。

本作が実は復讐劇では無い事に、どれだけの人が気付いたろうか?。単刀直入に言えばカサンドラは「自殺願望の女」。寧ろ殺されたいから知らない男の家にホイホイ着いて行く。その証拠に朝帰りする服には血が着いてる。これもミスリードで、男の血だと言う描写も証拠も無いので、本人の血だと分る。男の○ンポをちょん切ると想像したとしたら、彼女はとっくに刑務所に居る筈。

自分の誕生日を忘れてると言うのも1つのトリガーだが、決定的なのは「ノート」です。朝帰りの後で線を足しますが、ボヤッと見てると復讐した数だと思うが、赤いペンでガリガリ書く事からリストカットを意味する暗喩と分る。色が違うのは「自傷」に成功したか否か。ミステリー小説で使うトリックですが、復讐に移ると意図的にテロップされるが、アレがチャプターか何かだと誤認した時点で勝負あり(笑)。「Ⅰ」「Ⅱ」「Ⅲ」彼女が死んだ後にテロップがどう為ったか?、よく見て欲しい。

自殺願望を裏付けるのが、ハートのペンダント。それは大学でのレイプで自殺した親友の形見。別の視点では恋人かもしれないが、彼女は本作で登場した唯一の味方と言える人に、ペンダントを託す。推察される事は、ある種の遺言で「私も親友と同じ場所」つまり死ぬ事への決意の表れとも受け取れる。そのアクセサリーを身に付けてれば、警察が自分を見つけてくれる筈だと。名優Alfred Molina、本作にノンクレジットで出演する男気を見せたが、彼が死後のカサンドラの恨みを晴らしてくれるだろう。

描かれる出来事は全て能動的な計画性では無く、偶発的にレイプの主犯が地元に戻った事から、自分の死に場所を求めた結果と分る。彼女にとって「悪くない死に様」として事件の真相を暴露する、受動的な思考に基づく事件と言える。だからこそ、ラストで犯人の拘束が簡単に外れる。そうでないと自分は殺されないから。観客が復讐だと思って見たモノが、実は自殺のコンプリートだと言うオチは実に面白い。

レビューで「危ない女は恐ろしい」とか筋違いの感想を見ると、此方の頭が痛くなる(笑)。危ないのも、求めるのは自殺だから当たり前。彼女を「サイコパス」とか書いてるのを見ると腹を抱えて笑いたくなるが、もう一度ネットではなく、心理学の本でも読めよと言いたい。それを言うならメンタルヘルスがまだ許せる。本編では「Rape」とは一言も言って無い。彼女の行動は、レイプ文化の裏返しなのだと気付いて欲しい。

面白かったレビューは「この作品こそ男性が見て考えるべきだ!」。まぁ、随分と大きく出たなと思うが、単細胞に男性へのリベンジだと信じて疑わない善良な人だろう。誰だって一皮剥けば・・・レイプ犯と観客が同じ立ち位置と気付かないのは深層心理で偽善だと確信してるから。マウントを取って自分の印象を良くしたいだけの鈍感さを、厳しく指摘してる事に気付かない。だから監督は本作で「告発」してる。

プロミシングな若者は自分をよく見せる事しか考えてない。上辺が魅力的とか、学業の成績が優秀とか、でも実際は他者の事は何も分ってないし実は関心も無い。自分本位の考えを糾弾するのが監督の真のテーマ。ソウ考えると本作はスリラー映画では無いが、皮肉にもスリラーの最高傑作なのだと自信を持って言える。

社会への怒りを込めたノワール調カウンター・ムービー。貴方は真実に辿り着けただろうか?。
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