幽斎

コンパートメントNo.6の幽斎のレビュー・感想・評価

コンパートメントNo.6(2021年製作の映画)
4.6
【幽斎的2023ベストムービー、ミニシアター部門第8位】
「オリ・マキの人生で最も幸せな日」フィンランド出身Juho Kuosmanen監督が世界最北端の駅へ向かう寝台列車6号室で、最悪の出会いで始まる最愛の旅を描く、トラベリング・ハートフルスリラー。アップリンク京都で鑑賞。

新宿シネマカリテが連日の満席と話題に成った事は京都にも届いたが、此方のアップリンク京都も結構な入りで驚く。有名監督でも無く、スターが出演してる訳でも無く、正直コアな映画ファンしか響かない作品だが、此のムーブメントの要因は、皆さんのCOVID疲れ。時間を掛けて長距離を旅したいセンテンスに響いたのかもしれない。

本作は極めてミニマムなフィンランド映画で終わる筈だった。しかし、試写を見たソニー・ピクチャーズは「コレはイケる!」、ロシアとエストニアに加え、ドイツの配給会社を巻き込みソニーのロビー活動が功を奏し、カンヌ映画祭グランプリ受賞へ導いた。ロシア語で書かれた原作Rosa Liksom著「Hytti nro 6」フィンランド語に監督が加筆した脚本を基に制作。日本で原作に触れる事は難しいが、アメリカに住む友人の情報では1980年代のソ連が舞台、鉄道の旅はシベリア鉄道との事。

プロットはシンプルに世界最北端の駅ムルマンスクへ向かう列車で出会った男女2人を描くロードムービーですが、「Compartment」本来は医療用語で、骨や筋膜で囲まれた区画を意味し、外傷で筋肉が腫れる事をコンパートメント症候群と言います。此処から区画、仕切ると言う意味に派生。Lauraが乗り込んだ列車は2人乗りの相席コンパートメント。モスクワの大学に通い考古学に興味をつフィンランド出身の彼女は1997年に発見された岩絵「Petrograp」を見る為に一人でムルマンスクへ向かう。

寝台車で粗野な男と一緒に為ってしまうレズビアンの物語ですが、旅の相手はドタキャンで温度差を感じる事から、旅行のキャンセルも意図的なモノ。旅先で出会う炭鉱で働くLyokhaもルックスと感情の落差が激しいタイプ、心に傷を負ってる意味でLauraと良く似た立ち位置に見える。此の二人が徐々に惹かれ合う訳ですが、淡々と言うより、スローな2人の心の機微は観客に伝わり難い。意図的に関係性を開示しない事で、人物描写は鮮明に見える演出も秀逸。

フィンランドらしいシャレオツな北欧の雰囲気が有る訳でも無く、絵に書いた貧困層「ビジュ」には程遠い風景が続く。鮮麗された都会的なシーンより、時代遅れで退廃的な温くもりを感じるヴィジュアルは、地方都市の多い日本人にも新鮮に映るだろう。私は電車は苦手(圧倒的に飛行機派)、延々と続く工業地帯の風景、北欧だから白夜だろ?と言うネットで齧った知識をせせら笑う様に常に日が暮れてる世界観は、世界最北端へ向かう終末観も漂い、主人公の孤独を見事に表した点にも括目したい。

【ネタバレ】物語の核心に触れる考察へ移ります。自己責任でご覧下さい【閲覧注意!】

「Petrograp」ペトログリフ、象徴と成る岩石や洞窟の壁面に、意匠や文字が刻まれた彫刻。ギリシア語で石を意味するペトロとグリフの造語。日本は岩面彫刻と訳される。ハワイが有名ですが、関西にも滋賀県のドルメン遺跡とか、広島の宮島もソウですね。しかし、ソレで本作への理解が深まるのか、後半へ続く。ちびまる子ちゃんみたい(笑)。

私の専門はミステリーですが、オープニングの「名言なぞなぞ」理解を深める重要なヒントが隠されてる。ニュアンスはMarilyn Monroeの名言が視覚的に残る感じですが、即ち本作のテーマへと結び付く糸口で、「旅とは場所が目的ではなく逃避で有ると知る」←解釈として、Lauraの目的はペトログリフではなく、Irinaとの関係にケリを付ける為のモノ。かりそめの目的がペトログリフ、Irinaとの距離を引き離す事は理解出来るが、心にポッカリ空いた穴を、Lyokhaが修復して旅の意味を解らせる役回り、と私は思う。

Lauraの根底に有るのが「同性愛者の疎外感」、冒頭のパーティ然り。秀逸なのはアメリカ映画なら間違いなくLauraとLyokhaは結ばれるだろう。しかし、Lyokhaはレズビアンと聞いたから、セックスを拒んだ訳では有りません。Lyokhaの過去と関係が有ると思われますが、彼も心に傷を負い複雑な家庭環境だった事が忍ばれる。彼は女性の弱みに付け込んでセックスなんかしたくない。もっと深くソレが一層彼女を傷つける事だと悟ったからだと思う。私は劇場で「わかりみが深い」大きく頷いた(笑)。

Lyokhaの優しさは養母の登場で確信に変わる。「養母に育てられた」ワンフレーズで彼の生い立ちが瞬時に分かるが、養母との関係性が良いから連れて来た訳で、自分は酒を飲んでサッサと寝てしまう、ソレがLauraの為と分る。ご丁寧に別室で寝るので「後は女同士で宜しく」自分には話せない事も養母には言えるだろうと言う気遣い。彼をLookismで粗野と紹介したのは表面的なミスリードで、母親思いの優しい男、が正しい。

連絡先を拒んだ理由も「俺は期間限定の友人さ」最後までカッコ良い。セックスを拒んだ訳も、本当に良い意味で後腐れの無い関係を大事にしたかった。彼女がモスクワに戻るのか、フィンランドを目指すのかは分かりませんが、世界最北端のムルマンスクに、彼女が求めるモノは無い事だけは間違いない。ラストで明かされるメモの中身、本作を劇場で観たのは寒さ厳しい京都の2月、ソレでも私の心は温もりに満ちていた。本気で人を愛した事の有る人には、心に染みると思います。

旅には色んな可能性も秘めている、一期一会には心を暖める何かが有るのだと再認識した。
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